4月のある日、登校途中に5-6人の子どもたちが顔を寄せ合って何かを見ていました。
なんともいえないやさしい表情です。1人の子の手の中には、生まれたばかりのアゲハチョウがそっと握られていました。自然のつくるものは、なんと美しいのだろうと思うほど色の組み合わせが調和していました。
子どもたちは、「逃がしてあげたほうがいいよ。」「弱ってるから、そこにそっと置いてあげたら。」「何を食べるのかな。」口々にそんなことを言いながら、のぞきこんでいました。
アゲハチョウの羽の肌ざわり、色の美しさが、子どもの手から体、そして心へ伝わっているのでしょう。このやさしい表情は、アゲハチョウの可憐さをみんな吸い取っている表情です。この子どもには今、アゲハチョウという昆虫の強く持てば壊れてしまいそうな誕生の瞬間が、まるごとインプットされつつあります。
このように心のやわらかい時期に、このように身体を通して感じ取った自然は、生涯にわたって消えることがないでしょう。そう感じさせてくれるような、それはそれはやさしい表情でした。
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聞いたことは → 忘れる。
見たことは → 覚えている。
やったことは → 理解する。
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長いこと子どもを見ていると、上の3っの断定は実にみごとだなあと思わざるを得ません。ものみな萌えあがる5月、たっぷりと自然にかかわらせていただきたいものと思います。自然は遠くに行かなくても、教科書に出てくる本物が自分たちの足元にあります。まちにある本物から学び、自然環境を自分たちの生活や学習と結びっけて考えることができる子どもに育ってほしいと願っています。
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