パネルディスカッションの記録

山脇 それでは、これからパネルディスカッションを始めたいと思います。まず、パネリストの皆さんに簡単なご挨拶をお願いします。

服部 平成13年1月から15年3月まで、いちょう小学校校長として勤務しました服部です。今日は、参加者が神奈川全域、東京、千葉、埼玉、福井、長野、岡山など、全国からご参会いただけたことに感謝したいと思います。同時に、外国人児童生徒教育に対する関心や興味の高さと広がりとを感じます。皆さんがこれをきっかけにネットワークを築いていただければうれしく思います。業種を超えて、多文化共生について語り合えたらと思います。

福山 昨年度からいちょう小学校PTA代表を務めています福山です。代表は3人いて、他にベトナム出身の桜井さんと日本人の本田さんと一緒に代表を務めています。中国出身で、今は下の子が6年生です。

早川 「多文化まちづくり工房」という団体の代表をしています。いちょう小学校の校門前に事務所を開いて、子ども達への支援を続けてきました。活動に制限はなく、何でもやるつもりでいます。

伊藤 上飯田中学校教諭の伊藤です。国際教室を担当していますが、小学校の先生がたに後押ししてもらいながら進めています。自分が暮らしてきた大事な場所がこの地区なので、がんばっていきたいと思います。

山脇 それでは、さっそくパネリストの皆さんにいくつかお尋ねしたいと思います。まず服部先にお聞きします。このパネルディスカッションのテーマは、「外国人も日本人も安心して通える学校づくり」ですが、安心して通える学校というのは、どんな学校でしょうか。

服部 いちょう小学校で勤務を始めたころ、3年生の女児で学校に来たがらない子がいました。その子のお母さんと手紙でのやりとりを始めました。今考えれば、家庭での安心感が十分ではなかったのだろうと思います。そして学校でも、不安だったのでしょう。これは、日本の子のケースでしたが、外国の子のケースでは、来日直後で、日本語が話せなく、目も合わせられず、不安そうにしていた姿が思い起こされます。健常な子、障害がある子、外国の子・・・全ての子が今、不安な思いを抱く状況があるのだろうと思います。こうした状況にある子ども達が、そんな不安を解消できる学校が大事でしょう。それには、先生方も安心して仕事ができなければ無理です。誰もが安心して、気持ちよく過ごせる、そうした場を作りたいと思っています。職員一人一人が、子ども達が抱えている不安にどれだけ目を向け、寄り添い、それを解消する為の手立てを考えていくことがどれだけできるのか、ということが大事なのだと思います。

山脇 いちょう小での2年3ヶ月の間に、具体的に特に力を入れてきたことは何でしょうか。

服部 一人の先生よりも二人、二人よりも三人、と大勢の先生が自分のことを見ていてくれる、悪いことをしたら叱られるけど、いいことをしたら褒めてくれる、そういう関係を作っていくことが大事だと考えました。いちょうの職員は、皆非常にしなやかな方ばかりでした。私が着任した直後、卒業式についての話し合いの時に、計画では4、5、6年生だけでの卒業式でしたが、私の全校卒業式の投げかけを受け、その年の卒業式から全学年参加で行うことになりました。こうした先生方なら、担任がクラスを見るだけではなくて、学校の教師全員で子ども達を見ていくという教育指導体制が作っていけそうだと思いました。もちろん、担任の先生が中心ですが、管理職も他のクラスの担任も事務員さんもみんなで子ども達を育てるような、子ども達をみんなで見つめ、寄り添っていくという方向を共有でき、実際に教育実践として具現化できたと思います。そうした、システム作りを目指すことの重要性を実感しました。

山脇 4月から教育委員会に移って、小学校を客観的に見る立場に立つことになったと思います。そうしてみた時に、いちょう小学校について、その良さやあるいは改善すべき点についてあらためて思われたことはありますか。

服部 今日のフォーラムの受付の様子を見てもらってもわかると思いますが、職員が皆、温かく、そしてオープンです。PTAの皆さんもそうです。そうした雰囲気を作り出せるのがいちょう小学校の財産だと思います。職員が時間的にも、体力的に厳しい時にも、他の職員がフォローしていく関係性もあります。一方、職員集団としては、熟成しつつあると思いますが、それぞれは、日々作っている授業についてもっと授業力を高めたい、子ども達の支援の仕方についても力を高めたいというような、教育の専門家としての研鑽を望んでいるだろうと思います。また、PTAの皆さんは、非常に忙しくしています。そうした保護者の方々に学校に足を向けてもらうための工夫は、今後も大きな課題となるでしょう。

山脇 ありがとうございます。それでは、次に福山さんにお尋ねします。福山さんは中国から日本に来られて、何年目でしょうか?中国から日本に来られて、現在までの経歴について簡単にお話いただけますか。

福山 私は母が日本人です。母と一緒に26年前に来日し、そのまま日本の中学校に入学しました。その後結婚していちょう団地に住むようになりました。中学生の時に、「中国人」とからかわれたり、いじめを受けました。なので、子どもが小学校に入学しても、入学式と運動会以外には、学校に行きませんでした。私が学校に行くと、子どもも「中国人」といじめられるのではないかと心配でしたから。しかし、子どもの発表会などに少しずつ参加する機会があり、学校に行っても大丈夫だと思えるようになりました。

山脇 PTAに参加するようになったのは、どんなきっかけからだったでしょうか。

福山 PTAに初めて参加したのは、平成11年でした。子どもが卒業するまでには、一回ぐらいは引き受けなければならないと言われて、ある委員を引き受けました。その後、当時の瀬野尾校長先生から役員にならないかと熱心に働きかけられました。それで、とうとう、引き受けました。当時、私の日本語はめちゃくちゃでしたが、校長先生や飯村先生が引っ張ってくれて、なんとか1年間の仕事を終えることができました。しゃべっていることが伝わっていないような時にも、先生方は笑顔で励ましてくれました。PTA役員をしてよかったことは、先生方が子ども達のことをどれほどよく見てくれているかを、PTAとして通ううちにわかり、とても安心できたことです。その後、1年程、PTAの仕事から離れたことがありました。その時に、服部校長先生が家まで来て、役員を引き受けてくれと強く依頼されました。その年は、学校の創立30周年の年で、非常に忙しかったです。それでも、いやなことは全くありませんでした。外国の保護者にとって、PTAの仕事をするには、皆さん忙しいし、日本語にも困難があり、なかなか受けにくいと思います。しかし、今年、ベトナム出身の桜井さんが引き受けてくださって、ベトナム語の通訳もしてくださるので、ベトナムの保護者の参加者がとても増えました。

山脇 外国の保護者がPTAの役員を担当するのは、全国的に見ても珍しいと思いますが、現在、いちょう小のPTAの構成はどうなっていますか。

福山 PTAの役員は、日本8人、中国4人、ベトナム4人、カンボジア1人、ラオス1人となっています。今は、皆さん日本語ができなくとも、気にせずに学校に来て話し合いに加わってくれます。

山脇 ありがとうございます。続いて、早川さんにお尋ねします。まず、早川さんといちょう小学校とのかかわりについてお願いします。

早川 事務所で子ども達への学習支援を行っています。今後は、地域で育って大きくなった子ども達を中心にした活動に切り替えていきたいと思っています。この地域では、外国の方の規模が大きいので、学校の外からの働きかけも大事だろうと思います。いちょう小とのかかわりは、以前は放課後にいちょう小の子どもたちと一緒に遊ぶ程度でしたが、昨年から、いちょう小の夏休みの学習教室で、支援者として関わるようになりました。そこから、はっきりした繋がりができはじめ、情報交換もできるようになりました。外国から親族訪問で来た子どもについては、私の側から学校に働きかけ、体験入学が可能になりました。それから、去年、学校の敷地にあるコミュニティー・ハウスに、国際交流室という空間ができ、そこでも補習教室を開いているのですが、そこを通して、接点が広がりました。その結果、子ども達との関係も作りやすくなりました。

山脇 今日は、会場にたくさんのボランティアの方々が参加しています。ボランティアの方からは、学校となかなかよい関係をつくれないという声を聞きますが、よい関係づくりの秘訣はありますか。

早川 秘訣は特にないです。率直に言って、私自身も学校と繋がることが難しい時期が長かったです。服部先生に校長先生が代わっても、なかなか挨拶に来にくかったのですが、初めてお会いした時に「ちょくちょく来てよ」と気さくに言われました。しかし、それでもなかなか簡単には足を向けられなかったです。しかし、今日までには、いろいろな経緯があり、いまこうして関われるようになりました。例えば、区役所の会合で声を掛けていただいたり、保育園で集まって話し合う場で顔を合わせたり、このような小さな関わりの積み重ねが、関係性作りに寄与しているのだと思います。

山脇 ありがとうございました。今度は伊藤さんにお尋ねしますが、上飯田中学校にとって、早川さんはどんな存在でしょうか。

伊藤 4,5年前は、中学校と早川さんの関係はよくなく、学校内では「あの方はちょっと」というように言われていました。いちょう小学校のように、開かれた環境ができていなかった状況では、学校に入ってくる方に対して特別な見方があったと思います。私の場合、外国籍の子が夜どこかに行くと言う時に、よく「早川さんのところに行く」という返事が返ってきたので、一度訪問してみたことがありました。そこでは、学校でなかなか自分の居場所がみつからない子達が、お喋りし、勉強し、ほっとする場を求めているのだなと思いました。学校の行事にも、よく早川さんが参加しくれるのですが、そこで2年ぐらい前から話を始めました。そこで話題になったのは、子ども達は二極化しているようだということ、つまり、学校でよくやっている子とそうではない子に二極化しているということです。いちょう小学校では元気に溌剌と過ごしていた子が、中学校では、自分の力を発揮することもできず、元気を失っていくということがあります。私は、そうした子ども達について、相談に乗っていくような場を作っていきたいという気持ちを持っています。それから、早川さんのところでは、外国の子だけではなく、日本の子も支援しています。それが、子どもの間での互いの認識を変えているようです。日本人が大嫌いだったと言う中国の子が、日本に対する見方を変えたこともあります。

山脇 いちょう小や上飯田中など地域の4校連絡会が、昨年博報賞を受賞していますが、どのような活動をしていますか。

伊藤 主に4校の国際教室担当者の間で情報交換を中心に進めています。それから、地域の幼稚園・保育園、高校、さらにボランティア団体などとの情報交換もします。今年は、教務を中心に、4校の全職員の交流を進めていこうとしていて、5月には、中学校の授業を3つの小学校の先生方に参観してもらいました。11月には、中学校の全職員が、小学校の授業を見に行きます。

山脇 ありがとうございました。それでは、ここでフロアにいらっしゃるいちょう小と関係の深い地域の方々にご発言をいただきたいと思います。

栗原 いちょう団地連合自治会会長の栗原です。少子高齢化の今日、少ない子どもを地域で見守り育むことを基本としています。いちょう団地は通りをはさんで学区がいちょう小と飯田北小のふたつに分かれていますが、学区の壁を越えて子ども会を組織し、「子どもフェスティバル」など、企画段階から子どもたちとともに取り組んでいます。敬老会や団地祭りなどの地域の行事でも子どもたちが活躍できる場づくりを心がけ、学校の先生方にもご協力いただき、開催してきました。また、保護者懇談会や公開授業などの学校行事にも多く参加してきました。数々の積み重ねが今日の地域と学校の信頼関係につながっていると思います。

木村 「中国獅子舞泉の会」の代表の木村です。台湾出身で、いちょう小のPTA会長も務めました。私がPTA会長の頃は、外国人の子は、自分のことばを話したくないという状況がありました。自分の子どもにそういう劣等感を持って欲しくないと思いました。そこで、自分の文化を伝えていかなければならないと考え、獅子舞を始めました。いちょう団地には、外国の方が大勢いらっしゃる。この文化を元に交流していくことができるだろうと思いました。また、獅子舞の活動を実際にしているのは子ども達ですが、子ども達の育成にとっても、とても意味があると思いました。獅子舞は、今では団地だけではなく区の支援もいただいています。パネリストのお話を聞いて、多文化共生は、皆さんの力を借りなければ実現できないと思いました。

大庭 横浜市泉区役所の地域振興課の大庭です。区では、平成14年度から関わってきて、いちょう地区の状況を知り、こうした多文化共生の活動の重要性を認識するようになりました。今日のフォーラムを参考に、行政としてどのような関わり方が可能か考えたいと思います。

山脇 それでは、ここでフロアの皆さんから質問を受け付けたいと思います。

質問 神奈川県の社会福祉協議会の高橋です。伊藤先生の話にあった、いちょう小で元気だった子が、元気がなくなったりして二極化してしまうという話についての質問です。どうして、そうなってしまうのか、もっと知りたいと思います。

伊藤 三つの小学校から一つの中学校に来た場合に、日本人の割合が大きくなって、バランスが変わることによるものも考えられると思います。それから、学習面で苦しくなっていくことが考えられます。ある時、突然部活動をやめる、そして顧問の先生に「ぼくは勉強がしたい」ということがあります。親は大学に行けというらしいが、実際に学習の支えがどのようになされるのかという問題もあります。思春期になり、これまで声に出せたことが出せなくなっていくこともあります。例えば、「父親は○○人だ」というようなことも。

早川 原因を特定することはできないが、学習面が大きな要因だと思います。受験が目の前にぶらさがり、行き詰ることがあります。周囲の日本人生徒との間に、距離が生じるようです。それは、生活スタイルが関わっていると思います。日本の子が塾に通っていても、外国の子は家庭環境が大変で、塾に行けない場合が多いです。

質問 いちょう小では、とりわけ外国の子によい学習環境を創っていこうとされたと思いますが、そこで教育の軸としたのは何であったのかを伺いたいと思います。言葉の力を高めるための国語教育なのか、算数なのか、それとも、言葉と関わらない体育や音楽でしょうか? 

服部 決して外国人の子どもだけを対象にして教育実践を考え、行ってきたのではないことを、まずご理解いただきたいと思います。何を中心にしたのかと考えると、子ども達の全てを受けとめていくということだったかもしれません。朝からの子どもたちの一日を、全ての局面で、全ての時間帯で、全ての場で受けとめ、寄り添ってきました。確かに、外国の子に対しては、取り出しの国際教室での授業実践は重要でした。しかし、在籍学級での取組との関わりがなくては国際教室での学習が価値をもちません。子ども達を丸ごと抱えて、その子その子に応じたねらいをもって、対応してきました。 

山脇 最後にパネリストの皆さんから、一言ずついただきたいと思います。

伊藤 上飯田中学校に来て、初めて国際教室の担当になりました。今まで、いろいろな先生やいろいろな地域の方々との出会いがありました。そうした繋がりを大事にして、これからも取り組んでいきたいと思います。

早川 今日はいちょう小学校とのかかわりについて話をしましたが、基本的には、学校の外側で活動しています。時間的にも空間的にも、学校が終わってから、卒業してからの子ども達への支援を考えていきたいと思います。学校の外側には、外側ならではの活動があると思います。しかし、だからといって、学校と関係を持たずに、単独で活動するのではなく、学校と繋がっていくことによって、より豊かな支援になるのだろうと思います。とにかく、繋がっていくことが、私のようなボランティアの組織には重要だと思います。

福山 子どもたちの母語教育にこれからも力をいれていきたいと思いますが、中国語教室で困っているのが教材です。よい教材があれば、紹介してください!

服部 信頼される学校づくりが、今、求められています。学校がそれをどう受けとめるか、職員がどれだけその点について話し合っているかが重要だと思います。そこで鍵になるのは、まずは職員の「人」としてのあり方かもしれません。自分の立場で、子ども達が豊かな学校生活をおくるにはどうしたらいいのかをそれぞれが考え、それを交換しあうこと、そうした場を仕組みとしてつくっていくことが大事なのだろうと思います。

山脇 最後にコーディネータとしてのコメントを3点、申し上げたいと思います。第一に、90分のパネルディスカッションでは、いちょう小学校のよさを十分には伝えられなかったかもしれません。しかし、今回のように、学校が主体となって「多文化共生教育」の発信をすること自体が、非常に大きな意義があることだと思います。それが可能になったのは、校長先生のご理解とスタッフ一同の熱意があったからこそと思います。第二に、いちょう小学校は、何よりも開かれた雰囲気がすばらしいと思います。私は、今まで外国人の多い各地の学校を訪ねたことがありますが、いちょう小のようにオープンで明るく活気あふれる職員集団は珍しいと思います。最後に、4校連絡会は、最初は国際教室の担当教員のつながりでしたが、今年になってから、4校の教職員全体の繋がりへと広がりつつあります。これから、この地域での多文化共生教育の次のステージが始まることにおおいに期待したいと思います