| 開校までの概要 |
1972年 4月 7日 |
学校建設計画校打ち合わせ会に,いちょう団地方面校の話が
初めて公表される |
1972年 5月 4日 | 昭和47年度第1次建設計画の青写真ができ上がり説明会が開かれる |
1972年11月 3日 | 学区域の設定等について自治会長と懇談会を開き,
開校準備委員会設立発起人が 結成される |
1972年12月 3日 |
第1回開校準備委員会開かれる |
1973年 2月15日 | 上飯田小学校から独立するにあたり学区域の説明会が開かれた |
1973年 4月 1日 |
いちょう小学校が開校するまで,5・6年生は上飯田小学校に通学,
1年〜4年までは北分校に通学していた。 |
1973年 4月28日 | 親校上飯田小学校職員・児童といちょう小学校職員・児童との
お別れ集会が開かれた |
1973年 5月 1日 |
開校式を中庭で挙行された |
| 校名の由来 |
校地上飯田町3220番地の4は,この辺一帯は境川流域として水田地帯であった。ここを県が買収して埋立地を造成し,県営いちょう団地を建設した。 いちょうという植物は,神奈川県が指定する代表植物の中の1種で,その名をとって県営いちょう団地ができた。その団地内に学校ができたので,いちょう小学校と命名された。 |