学校だよりのバックナンバーを掲載しています。

2008年6月号
より

  

  夏休み、たっぷりの家族の団欒を
〜 「こ(個・孤・子・粉・固)食」の時代 〜


                                 校長  早渕 幸子
 

 6月26、27日は5、6組の三浦宿泊体験学習でした。梅雨の時期でもあり生憎の天候でしたが、一日目の夕方には雨も上がり、ボール遊びや海遊びを堪能することができました。また、一人ひとりが自分の役割をしっかり果たせた二日間となりました。

テキスト ボックス:  4年生の野島宿泊体験学習から6年の日光修学旅行まで、学年に応じて宿泊学習が実施されていますが、どの学年でも感じることは自立の大切さです。 衣服をきちんとたたむ、 荷物を整理してバッグに収まり良くしまう、マナーを守ってお風呂に入る、次の人のことを考えてトイレを使う、食事の準備や後片付けを効率よく丁寧に行う、布団やシーツをきちんとたたむ、・・・・・など、生活を営む上で基本的なことはしっかり身に付けさせたいと思います。自分のことがしっかりできることは、社会に出てから、自分も周囲の人も互いに気持ちよく生活できることにつながります。

 さて、「健康かながわ 6月号」に「こ食」の記事が載っていました。朝食を一人で食べる小学校1〜3年生の割合が、88年には約27%でしたが、05年には41%になったと国民健康・栄養調査で報告されているそうです。10年余り前にはこ食は「孤食」=一人で食べるのは味気ない、寂しい、という内容でしたが、今は個食=食事は一人で食べる方が気が楽、誰かと一緒の食事は気を使うから嫌、に変質してきているそうです。
 
映画「ALWAYS」の時代のように、家族皆が揃ってちゃぶ台(この言葉も現代では通用しないかもしれませんね)を囲み、賑やかに和やかに楽しく会話しながら食事をする・・・。そこでは会話をすること自体もご馳走であり、贅沢な食事でなくても話をすることで一層おいしく感じることができたのではないかと思います。そのような家族団欒の光景が現代の家庭から失われつつあるのは、とても寂しいだけでなく、子ども達の成長にとっても心配なことです。

聖徳大学の室田教授はこの記事の中で次のように述べています。(一部引用)

「家族の中で個食化が進むことは コミュニケーションの機会が減少し、子どもだけでなく大人も感情の切り替えや意識の建て直しをする機会を失う。同時に相手の気持ちを理解し、場の空気を読み、自分の考えを伝える力−コミュニケーション能力も失う。日常の人とのかかわりの感覚の喪失が進むことを意味する。豊かな食卓では食物はごく普通のものであっても相手との温かな関係を確かめ合う中で、ありのままの自分を受け入れられ、承認され、慰められ、心の開放も行われていく。子どもも、大人も」

生活習慣病の増加に伴い、メタボリックシンドロームへの関心も高まってきました。体の健康面だけでなく、心の健全な育成のためにも食事の場は楽しい家族の団欒の場でありたいものです。

激辛ブームなど刺激的な味に人気が集まるのは、人間の味覚が鈍くなってきていることの表れではないかという意見もあります。暑いと食欲も減退しがちですが、家族揃っての楽しい食事によって、繊細な感覚や感性を磨き、我が国の多彩な食文化にもふれさせたいですね。

 6月19日、瀧川様にご指導いただき、5年生が泥だらけになって田植えをしました。長期休業中も様々な本物体験をして、一回り大きく成長した子ども達に会えることを楽しみにしております。よい夏休みをお過ごしください。

 6月より第一校舎の耐震工事が始まり、児童や保護者だけでなく、近隣の皆様、地域の皆様にもご迷惑をおかけしております。夏季休業中は校庭に資材置き場もできます。詳細については後日お知らせいたします。暑い夏、騒音等もあるかと思いますが、ご協力よろしくお願いいたします。






2008年6月号
より

  

 できることから                 

                                 校長  早渕 幸子
 

5月31日(土)無常にも朝から冷たい雨。台風4号にも負けなかった修学旅行の奇跡を再び願ったのですが、今回は梅雨前線にしてやられました。子ども達が作ってくれたテルテル坊主も、職員室の窓辺で寂しそうに揺れていました。
 仕切り直しとなった6月4日、太陽も顔をのぞかせ、児童代表委員会が考えた「全力で心ひとつにがんばるぞ!」のスローガンのもと、スポーツフェスティバルが行われました。力の入った競技や演技、上級生が下級生を気遣い、手助けする姿、応援団のきびきびした気持ちのよい応援、マーチングバンドの颯爽とした演奏、実行委員の全体に気配りした動き、それぞれの係りの先々を見通した働きぶり・・・・・優勝の行方とともに、目当てをもち、自分のやるべきことを責任をもって主体的に行っている姿、本当に一人ひとりが輝いて見えました。スローガンのとおり、全員が力と心を一つにして頑張ったからこそ、心に残るスポーツフェスティバルになったのだと思います。そして、高学年のダイナミックな演技や様々な場面で活躍する姿は、低学年・中学年にとって、これからのよきお手本、憧れのお兄さん、お姉さんとなることでしょう。  ご多用な中、おいでくださいましたご来賓、地域、保護者の皆様の温かい応援に感謝申し上げます。また、お手伝いいただきましたPTA役員、委員の皆様、保護者の皆様有難うございました。


 前述した6年の日光修学旅行ですが、台風の影響で暴風警報が出た場合には、中止になることになっていました。5月19日の夜は、どうなることかと気になって一晩中眠れませんでした。
 朝、やはり雨は降っています。しかし、幸いなことに出発することができました。荒れる天気も何のその、修学旅行電車の中は大盛り上がり。それに圧倒されたのか、日光に到着する頃には、青空も見えてきました。
テキスト ボックス:   雨に洗われた新緑の美しさに見とれ、一斉に開花した花々に二度目のお花見をし、日光の自然と歴史を思いっきり満喫してきました。宿泊したホテルの方に、6年生が気持ちよく挨拶や返事ができることをたくさん褒めていただきました。菊名小学校が取組んでいることが、子ども達の中にしっかり根付いていることを大変嬉しく思いました。


 さて、四川大地震やミャンマーのサイクロンの被害が連日報道されています。地震や高波の規模のあまりにも大きなことや被害の甚大さ、多くの学校が倒壊し子ども達が大勢犠牲になったことなど、本当に心が痛みます。私たちの生活を和ませ、命を与え、豊かにしてくれる自然なのですが、その破壊力には圧倒される思いです。改めて畏敬の念を覚えます。

 先日の朝会の折に、被災者のために、小学生なりに自分にできることはないか考えてみよう、そして、考えたことを行動しよう、と話しました。
 そんな折、「菊名の未来を考える会」の齋藤様から「エコキャップ運動」への協力のお話をいただきました。5月26日の朝会で、漆原様、齋藤様、高橋様、田中様に直接子ども達にお話をしていただきました。(全員、菊名小学校の卒業生だそうです。) 皆様も既にご存知のように、ペットボトルなどの蓋を800個集めると20円になり、一人分のワクチンを買うことができます。そして、ごみとして燃やさないことで環境にも優しい活動になります。もちろん、キャップを買い上げ、再利用する企業があって成り立っていることですが。
 実は、直接お話に来ていただいたのには次のような理由があります。
 一つには、自分達が住んでいるまちに、学援隊やまごころの会の皆様をはじめ、菊名の未来を考える会の皆様のような素敵な先輩がいることを知って欲しいこと。憧れを抱くような大人が身近に存在していることは、子ども達が明るい未来を描くことにつながると思うのです。
 二つ目に、依頼されたから協力する、というのではなく、子ども達の「意志」として主体的な活動にして欲しいことがあります。キャップの数を集めるだけでなく、これがどのように自分の身の回りから世界へとつながっていくのか、学習して欲しいという気持ちもあります。あくまでも教師は黒衣に徹しながらも、子ども達の活動がどのように発展していくのか、楽しみにしています。
 しっとりと降る雨は風情があるのですが、被災地を思うと大雨にならないよう祈りたい気持ちです。梅雨の季節に入りました。心静かに落ち着いて生活したいと思います。





2008年5月号
より

  

 こころ ゆたかな きくなの子                 

                                 校長  早渕 幸子
 

柔らかな新緑が美しい季節となり、校庭には元気よく鯉のぼりが泳いでいます。キラキラ輝く光の下、子ども達も屋外での遊びが一層楽しくなります。互いに声をかけ合って、大勢で思いっきり体を動かして遊んでほしいものです。
さて、平成20年度は765名の児童、25学級でスタートしましたが、4月中旬に1名の転入があり、2年生が121名となりました。4月22日の懇談会の折に2年生の保護者の皆様のご賛同を得て、5月1日付で学級編制替えを行い、4学級とすることになりました。それに伴い、4年生も教室移動を行います。
 新しい友達や担任と楽しい学級づくりを進めている時期でもあり、様々な思いやご心配があることと思いますが、子ども達の気持ちや様子に十分に配慮しながら、新しい気持ちで前向きに生活できるよう見守り、指導していきたいと思います。気になることがございましたら、どうぞ学校にお知らせください。
また、それに伴い、気持ちよく教室移動に同意してくださった4年生の皆様、24日のPTA委員総会では、2年生の事情をご理解くださいました他学年委員の皆様、会議室の移動等様々なご支援をしてくださいましたPTA役員の方々に改めて感謝申し上げます。
1年生も上級生に温かく迎えられ、朝会にデビューしました。縦割りの活動も始まりました。5・6年生はスポーツフェスティバル等に向け、ますます高学年としての責任を自覚して行動し、全校をまとめ、リードしてくれることと期待しています。
 今年度の学校経営の方針を5月23日のPTA総会で説明させていただきます。子ども達にとって「夢や希望がもてる学校」、「夢の実現に向けて一人ひとりが力を発揮できる学校」でありたいと考えております。皆様のご理解・ご支援をよろしくお願い申し上げます。
   角丸四角形: 平成20年度 学校経営の方針
♪ 豊かな心を育む教育を推進します
♪ 豊かな学びの創造に努めます 
♪ 開かれた学校を推進し、協働・共育を
実践します
♪ 危機把握・危機対策に取り組みます
≪具体目標≫

T 笑顔であいさつ!
心を込めてはっきりと挨拶や返事ができるよう指導します。

U 読書活動の充実
「まごころの会」の皆様のご協力を得て、読み聞かせや読書活動を充実します。
図書室の整備等、環境を整えます。

 V Yokohama International Communication Activities (YICA)等、授業の工夫・改善
基礎・基本の定着を図り、児童が心から楽しいと思える授業、分かった、できたと達成感のもてる授業を構成します。
コミュニケーション能力を高めるよう、楽しい英語活動を推進します。
AET、サポ―ターとの協力教授のあり方を研究します。

W 特別支援教育の推進
互いを尊重する精神をもち、児童・職員の人権意識を高めます。
児童の心に寄り添い共感的理解を深め、よりよい指導をするための方策を考えます。
 カウンセラーや専門機関との連携を図ります。
 特別支援教育推進校としての研究を深めます。

X 保護者・地域の皆様との一層の連携
保護者、地域、「ともいく委員会」との連絡・協力を大切にし、地域の中で育つ子どもとして地域に愛着や誇りがもてるように、皆様と共に「共育」します。
常に危機意識をもち、事故等を未然に防ぐ努力をします。
「学援隊」や近隣校・関係機関とも連携し、安全対策に努めます。





2008年4月号
より

  

ご入学、ご進学おめでとうございます 
                  
                                校長  早渕 幸子 


 

暖かな春の光を受けて可愛い一年生が入学してきました。在校生もそれぞれ進級し、一人ひとりが新たな希望や目標をもち、「今年もがんばるぞ!」と意欲に溢れていることと思います。

 酒井校長先生の後任として、4月1日に着任いたしました早渕幸子でございます。前任校は、西区の戸部小学校です。どうぞよろしくお願いいたします。

 4月2日、出勤してきましたら、散り始めた桜の花びらを、丁寧に掃いてくださっている方がいます。鈴木アサ子様でした。お話を伺いましたら、菊名小学校の中をお掃除してくださって、なんと23年にもなるとのことです。また、子ども達の安全確保のために活動してくださっている「学援隊」の皆様、読み聞かせボランティアをしてくださっている「まごころの会」の皆様、落ち葉掃きのボランティアをしてくださっている皆様・・・・・この他にも、きっとまだまだ様々な面で支援してくださっている方が大勢いらっしゃると思います。

 このように多くの保護者・地域の皆様に支えられている菊名小学校に着任しましたことを、大変嬉しく思います。同時に、地域の中で見守られて生活している子どもたちも本当に幸せだと思います。これから、皆様方とお会いできることを楽しみにしております。   

角丸四角形: 自分のことばで
小森香子

叫んでみよう
自分の心を 自分の思いを
自分のことばで

けんかも あそびも なかまづくりも
ちいさないのちを いつくしむことも
歌も おどりも 一つの仕事も
みんな 自分の意思と 責任

どこかで つくられた道を
知らぬ間に 歩かさられるのではなく
自分の足で 大地に立ち
考えてみよう 自分のことばで

それは わたしが 生きているあかし
人間らしく 生きてゆくための
かけがえのない あかしなのだから

学級担任をしていたころ、子どもたちと一緒に左の詩をよく読んでいました。自分の弱いところも、苦手なことも、安心して出せる学級、誰もが構えずに素顔のままの自分でいられる教室であることは、学級経営の基本です。そして、みんなで力を合わせて一つのことをやり遂げる楽しさ、心地よさをたくさん経験して、自分のよさも友達のよさも認め合いながら、互いに成長してほしいと思います。

直接目を合わせて対話するよりも、メールで自分の気持ちを伝えることが多いと言われる現代ですが、互いに自分の素直な心を「自分のことば」で語り合いながら、人と人との出会いやかかわり、つながりを大切にする子どもに育ってほしいと願っています。

本校の全ての学級が、子どもたちの心が開かれ、よさを発揮して生き生きと生活できるよう、職員一同力を尽くして参ります。

今年度も、保護者、地域の皆様のご支援、ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。





2008年3月号
より

  

春待つ心 
                  
                                校長  酒井 勲 


  「啓蟄(けいちつ)」(冬ごもりしていた虫たちが、地上に出て活動を始める)季節となりました。「もうすぐ春ですね。」
 冬が暖かかった今年、野の虫たちは、日だまりでさぞ活発な活動を繰り広げているだろうと想像していたところ、意外とそうでもないことを、動物学者の日高敏隆さんが、ある書物で述べていました。日高さんによれば、多くの虫にとって冬の寒さは必要不可欠なのだそうです。枯れ葉や朽ち木の下で休眠する虫たちは、5度以下の低温にさらされることで、春を迎えるための変化が体内で進みます。チョウの場合、寒い時期を十分に過ごせなかったサナギは、卵もあまり産めない、ひ弱な成虫になってしまうそうです。
 そんな文を読んでいて、私たち人間世界を考えてしまいました。母親にしっかり守られ、冬の寒さもあまり体験していない子どもでも、やがてはそこから出て行く時がきます。しかし、外の世界は、競争 社会だ、グローバル社会だと言われる、複雑で厳しい環境です。単純な人間関係の中で育ち、多様さや複雑さへの対応力に乏しい子どもが、そうした環境に順応するのは容易ではありません。
 1年生の国語の教科書に「どうぶつの赤ちゃん」という教材があります。ライオンの赤ちゃんと、しまうまの赤ちゃんとの、生まれた時の様子の違いを読み取る学習です。子ども達は、ライオンの、のんびりした成長の様子に比べて、しまうまの赤ちゃんは生まれた時にはもう山羊くらいの大きさであること、目はあいて30分もすると自分で立ち上がり、翌日にはもう走り出すこと、一週間もすると自分で草を食べ始めること等を読み取り、自分やライオンに比べてその早い自立に驚くばかりでした。その感想の中に、「しまうまは弱いので敵にすぐ襲われてしまう。だからお母さんは赤ちゃんが一人でも逃げられるよう、一人になっても生きていかれるよう、子どもから離れているんだと思う。」と書いていました。きっと心の中には、自分が成長していく過程が描かれているのかもしれません。
 これからの保護者に考えてもらいたいことの一つに、「サポーティブ・ディタッチメント」という考え方があります。これは、少し離れた状態から子どもをサポートするという意味です。逆にべったりと保護するのが「サポーティブ・アタッチメント」です。
 例を挙げれば、教師が子どもを引率して登山する時に、先頭で指示をしながら登るのは「サポーティブ・アタッチメント」です。それに対し、後ろに付いて歩き、子どもが道を間違えても口を出さずに見守るのが「サポーティブ・ディタッチメント」です。危険を感じたら即座に対応する点において、ただの放任ではありません。ただ、言うは易く行うは難しですが、子どもの年齢が上がるにつれて必要なことですから、考えていきたいものです。
 時は3月。学年の修了、卒業の月です。子ども達の「春待つ心」に、何かひとつ違った後押しをしてあげたいものだと考えている、ここ数日です。





2008年2月号
より

  

おでんの王様は誰? 
                  
                                校長  酒井 勲 

 

1月23日、この日は朝から凍えるような寒さ。でも子ども達には、嬉しい嬉しい「天からの小さなプレゼント」が用意されていました。今冬初めての冬景色に、子ども達はもう大喜び。中休みには、校庭にできた手つかずの真っ白な雪原めざして、たくさんの子ども達が一斉に飛び出していく様子が印象的でした。この日は、鍋が似合いそうな晩でした。

 鍋といえば、過日、区PTA連絡協議会の講演会が公会堂でありました。講師はテレビ等で活躍されている「歌う料理人」こと、森野熊八さん。その中でこんな話が出ました。「皆さん、おでんの中で、王様って何だか分かりますか。大根や卵やジャガイモや昆布は、おでんの中でなくても、他でも活躍の場はたくさんありますよね。しかし、王様はこの中でのみ活躍し、存在感があるのです。」

 皆さんはお分かりになりましたか。その答えは「竹輪麩」だそうです。そう言えば、竹輪麩は、それ自身あまり味が無く、それだけではあまり美味しくはありません。でも、おでんの中に入ると、とても存在感がある味になるんですね。

 私は早速この話を、1月21日の朝会で披露してみました。この日も寒い朝で、おでんの話には絶好の日和?でした。「おでんの王様は誰だか知ってる?」子ども達は一斉に、大根・昆布・卵・巾着・ロールキャベツ……と挙げていきましたが、やはり竹輪麩は出てきません。そこで、おもむろに「じつはね、…」とやっていったわけです。(私はあの日、森野熊八さんのおでんの話を聞きながら、子ども達の顔を思い浮かべていました。)

 竹輪麩はそんなに目立つ存在ではありません。むしろ控えめな食材です。そんな彼が一旦おでんの中に入ると、様々な食材と混じり合いながら、そこから染み出てくるエキスを自分に頂きながら、いつの間にか自分の味を出しています。過度な自己主張も無く、仲良く暮らしていく中で、他の誰にも出せない自分らしい味を築きあげているんです。一人ぼっちのようだけど、一人ぼっちじゃないんだあ。「竹輪麩って、素晴らしい。やっぱり、王様だ。」「なんか、みんなに似ているなあ。」というような訳で、朝会は終わりました。

 何日からして、4年生のあるクラスから感想が届きました。

「今日のお話はおでんだった。おでんの王様は竹輪麩だった。理由は竹輪麩は他の料理にはあまり出てないけれど、おでんだとおいしくなるからだ。いろんな味がしみるからだ。竹輪麩は他の具のおかげで美味しくなっている。みんなの助けがあるから美味しくなるんだと思う。私は竹輪麩だと考えると、みんながいるから良くなるんだと思う。」

「心も体も温まる、温かい話をしてもらった。鍋料理でよく食べられるおでん。その中に王様がいるそうだ。あまり思いつかなかったが、それは竹輪麩だそうだ。理由は、おでんの中に入ると、きらきらと輝いて今までと違うものになると言っていた。前に朝会で話してもらったダイヤモンドと同じで、今はきらきらと輝いていなくても、いつかは違うように輝くという意味だと思う。竹輪麩と同じように、きらきらと輝く、きれいなものになりたいと思った。」

 今日は何だかおでんが食べたくなりました。竹輪麩と話してみたくなりました。






2008年1月号
より

  

もうひとつの「ありがとう。」 
                  
                                校長  酒井 勲 

 「あけまして おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。」
保護者・地域の皆様には、ご健勝にて穏やかな新年を迎えられたことと存じます。本年もまた、本校の教育活動に、ご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。
 この頃、菊名小学校では、「ありがとう。」の言葉がとても素敵に使わているように感じます。何かをしてもらって「ありがとう。」だけではなく、誰かに誉められた時、素直に「ありがとうございます。」をかえす言葉を耳にすることが、最近多くなりました。12月、ある担任が出張でクラスを留守にしていた時のこと、たまたま廊下を通りかかった私が、「すごいなあ。自分たちで上手に自習できているじゃないか。素晴らしいクラスだ。」と声をかけたところ、一斉に「ありがとうございます。」の声。また別な日、こんなこともありました。朝、登校して来た女の子の頭に、手編みの色鮮やかな毛糸の帽子。思わず「すてきだねえ。」と言ったら、彼女、にっこり笑って「ありがとうございます。」と。とても気持ちのいい一瞬でした。
 ところが、先月、門から玄関への道が一面落ち葉で覆われていた朝、自分達で箒を持ち出して掃いてくれていた女の子数人に、「ありがとう。とっても助かるよ。」と声をかけたところ、かえってきた言葉が、「いいえ・・・。ありがとうございます。」
 ううん、これは前の二つの「ありがとう。」とは、ちょっと違いますぞ。何かしてもらったお礼に言う「ありがとう。」ではありません。では、どんな気持ちの表現だったのでしょうか。本人に確かめた訳ではありませんが、「喜んでもらえて、嬉しいです。」その嬉しさの表現が、思わず「ありがとうございます。」の言葉に置き換えられたのでしょう。
 そういえば、昔、田舎にいた頃、近所のおばちゃん達が話していた会話の中にも、そんなやりとりがあったのを思い出しました。
 「いやあ、こんまえは、忙しいのに手貸してくれて、ありがとうね。」
 「いやいや、どうもね。ありがとさんよ。」
これはどんな意味でしょう。前者の「ありがとう。」は分かりますが、後者は、きっと、「私を必要としてくれて『ありがとう。』、声かけてくれて『ありがとう。』」だったのではないでしょうか。「ありがとう。」への「ありがとう。」です。
 大人も子どもも「自分という人間の存在を認めてもらいたい。」「自分も社会から必要とされていたい。」「何か、人の役に立っていたい。」という思いをもっています。そして、ある時には、自分が必要とされる場面もあるのです。それらに気づく柔軟な目を育て、今年は、人間関係を、もうひとつの「ありがとう。」で繋いでいきたいものです。そして、みんなで、「ありがとう。」あふれる菊名小学校にしてきたいものです。




2007年12月号
より

  

今までの中で、今の君が いちばんいいよ 
                  
                                校長  酒井 勲 

 「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日は サラダ記念日
 これは、ある書籍を見ていて、ふと目に留まった俵真智さんの作品です。きっと、好きな人に、自分が作ったサラダ料理を褒められたのでしょう。それが自信となって、「サラダ記念日」を設定したに違いありません。誰でも、褒められて嬉しくない者はいません。それが、多少お世辞交じりだとしても、自分を微妙にくすぐります。
 私にも数十年前、小学生時代がありました。全校写生大会という催しが毎年あり、ある時、町に一軒だけある工場と高い煙突、向こうに見える山並み、そして高い広い空、それらを組み合わせて風景画を描きました。それを後ろから見ていた担任が、
 「いやあ、これはいい。普通だったら空は青く描くのに、おまえは見て感じたままに描いている。これはいい。」
私は別に感性が豊かであった訳ではなく、ただ、空が白っぽく見えたから、そう描いただけの話なのですが。でも、それ以来、私は絵が好きになりました。そして、自分で言うのも何ですが、上手になって来たような気がしたのです。まさにあの日が、私にとっての、「絵記念日」となったのです。さて、お宅のお子さんは、いくつの記念日をいま持っているでしょうか。
 子どもは、自分のことをよく知りません。自分はどういう人間なのか、どんな素晴らしいものを持っているのかを知りません。周りからの言葉で自分に気づき、自分を知り、褒められて自分を向上させていくものです。それが、身近な親だったり教師だったりしたら、なおさら感じるところも多いことでしょう。
 しかし、親は自分の子どもの将来のことを考え、あれもこれも、身に付けさせておかねば、とその子どもに元々ないものまで期待し、叱咤激励しがちです。子どもは、それでも、親の期待に応えようと、必死に努力します。(意識しているかどうかは分かりませんが。)それが、ある時につまずき、自信を失い、自己有用感が消滅し、そして落ち込んでしまう、そんなことも、時にはあるかもしれません。
 こんな小さな子が、健気にも日々一生懸命生きて、成長し続けています。そして今、まだ短いけれど、その人生のピークにいるのです。いいじゃないですか。無いものを期待するより、今有るものを見つけて、知らせてあげれば。見つめればたくさんあるのですから。
 お父さん、お母さん、あなたの子どもさんは、今、人生の中でいちばん輝いています。だから言ってあげてください。「今までの中で、今の君がいちばんいいよ。」と。そして伝えてあげてください。「自分はどんな人間で、どんな長所を持っている人間なのか。」に気づくように。





2007年11月号
より

  

ダッシュ             副校長  江田 久美子 

この時期、菊名の街はどこを歩いてもどこからとなく、金木犀の芳香が漂ってきます。源の木はどこにあるのだろうとその方角を探って見渡すと、おどろくほど高い空が頭上に広がっています。町並みと空、それをやさしく包み込む金木犀の香りに心がなごみ、思わず笑みがこぼれました。菊名小学校の子どもたちの姿にも、街の姿と同じように、大人たちは心なごみ、笑みこぼれることがたくさんあります。その一つに今でも目に焼きついている一場面があります。

空気が澄んで、日差しは強いけれど、日陰に入ると、ひんやりと涼しい風が吹いていたころのことです。2年生の子たちがまち探検に出かけました。水筒に虫かご、探検バッグと大荷物です。グループごとに集まって、今日の探検の場所の話をしたり、忘れ物がないか確かめたりしています。いよいよグループが動き始めました。と、その時、突然、一人の子が進行方向に向かってダッシュをしたのです。肩に下げた荷物をカタカタ言わせて全速力で走ります。「どうしたの?」と周りの子や私はびっくりして追いかけました。すると、その子は、「ついて来ないで!」と振り返って叫びます。そうはいきません。私たちも必死で走ります。ついに、その子は、走るのをやめて、かがみこんで座りました。一体何があったのか。必死の様子からうれしくてはしゃぎすぎたとも考えられません。どうしたのかな。

追いついて、私の見たものは、ほどけた靴紐を結びなおす彼の姿でした。自分のせいで遅れたら悪いと思った彼は、靴紐をなおす間、待たせないようにどうしたらいいか考えました。そして、見つけた答えが「ダッシュ」だったのです。自分がはやく行って靴紐を結んでいる間、みんなにゆっくり追いついてほしかったのです。不器用だけど、自分で考えた方法でみんなに待たせないようにした姿にうれしくなって、そこにいた子たちと私は大笑いをしました。

子どもたちは、学校という集団の生活や学習の中で、自分一人で考えて判断して行動しています。でも、大人と違って、経験が少ない分、判断して行動したことが大人から見ると、とんでもないことだったり、周りに迷惑をかけたり、わかりにくかったりすることもあります。子どもたちは、その時、教師や友達と「そうか、そう考えたんだね。」「でも、こうすると、もっとよかったね。」「よく考えたね。」と一緒に考え、学びます。大人として社会の中で行動する練習のときです。ここで始めから指示をしたり、すとんと納得できる反省ができなかったりすると、せっかく自分で考えて動き出した子どもたちは萎縮し、動かなくなり、指示を待つようになります。

今日も子どもたちは、心と体を精一杯働かせて考えています。そして、自分の「ダッシュ」をあちこちで繰り広げています。私たち大人はそれを笑みこぼれながら見守っていきましょう。




2007年10月号
より

  

「しつれいします。」       校長  酒井 勲


 職員室の入口に、次のようなカードが貼ってあります。

しょくいんしつに はいるときは、
◎ドアをノックしましょう。
◎「しつれいします。○年○組の○○です。□□のようで きました。」
といって、はいりましょう。
でるときは、
◎「しつれいしました。」といって、ドアをしめましょう。

 もう何度も職員室を訪れている上級生は、上記のことばだけでなく、その内容に応じたこどばで流暢に話して入ってきます。まだあまり場数を踏んでいない子は、緊張しながら、そしてまた口ごもりながら、やっと聞こえるような声で入ってきます。初めてこれを体験する子は、ドアの前で何度も小さな声でつぶやき、練習してから入ってきます。時には、固まった二人の一年生が、しっかり手をつなぎ、必死に声を出している場面にも出くわしいます。ここはある意味で、子どもにとっての「ことばのバリアゾーン」かもしれません。
 そんな様子にも、職員からは「ちょっと違うんじゃない。もう一度やり直してごらん。」「よく聞こえないよ。」「○○先生いますか、じゃないでしょう。いらっしゃいますか、でしょう。」「誰に言っているの、相手の目をよく見て言うんだよ。」と容赦ない声。
 でも、それだけではありません。「よく言えたね。」「前より上手に言えるようになったよ。」「とてもはっきりしていて、いいね。」という励ましも忘れません。
 ふつう、私達は、相手によってことばを使い分けています。相手が持っている本を見たい時、親しい間柄なら「それ見せて。」で通じますが、改まった相手なら「本を見せてください。」「見せていただけませんか。」になります。さらに目上の人なら「すみませんが」「恐れ入りますが」が必要でしょう。こうした配慮を伴う言い回しは、ふだんから多様な相手と接していなければ育っていきません。ところが、立場の違う相手と向き合って話す場面は、様々な状況の変化から子どもたちの周りから減ってきているように思います。
 本校では、人間関係の多様さや複雑さを校内に意図的につくり出すことにも心掛けています。学年の違う相手と話す異学年交流や兄弟学年交流、学援隊や読み聞かせの方々との交わり、生活科や総合での地域の高齢者や、様々な分野の専門家との関わり等。これらは、ふだんの家庭生活の中では、なかなか経験しにくいことです。校内での様々な試みが、子どもの将来の「ことばのみがき」につながっていくことを願っています。
 今日もまた、新しい顔ぶれの二人が緊張して入ってきました。
 「しつれいします。・・・・・・・・・・・・。」





2007年9月号
より

  

「みんな、おかえり。」       校長  酒井勲


 例年にない猛暑が続いた夏休みが終わり、今日からまた学校が始まります。子ども達の元気な声が、教室や校庭に戻ってきました。「みんな、おかえり。」
 この夏もまた、全国の様々な場所で、子ども達に関わった、また、巻き込まれた様々なニュースを耳にしました。その多くが、本来、子どもを守るべき大人達の不注意や、育児力の低下によるものであったりしていることを感じながら、心が痛み、その度に、菊名の子の暮らしぶりを案じておりました。幸い、大きな事故もなく今日を迎えられたことを嬉しく思うと同時に、お世話いただきました皆様にお礼申し上げます。
 先日、地域の方から嬉しいお電話を頂きました。
 「8月初めの頃、大倉山駅から歩いて帰宅途中、重い荷物を持っていたのですが、姉弟と思われる二人の子が後ろから、『持ちましょうか。』と、とても自然に声をかけてくれました。その日はとても暑い日でしたので、本当に助かりました。とても嬉しく、心から感激して、この気持ちをぜひ学校の方へお伝えしようと思いました。優しいお子さんで、すばらしい学校ですね。」嬉しいですね。
 みんな、それぞれの夏を、様々な体験を通して過ごしてきたことでしょう。親の田舎に帰った子、一人で遠くまで出かけた子、平和について考える体験に出会った子、塾の勉強に没頭した子、自分の課題を見つけて取り組んだ子、学校の水泳やマーチングの練習に集中した子、そんないいことばかりでなく悲しい出来事に遭遇した子、本当に様々な夏休みを送ったことと思います。
 ただ、ここで、子ども達のそれぞれの体験の総仕上げのために、私達大人がもう一つしなくてはいけないことがありそうです。楽しかったね、面白かったね、大変だったね、がんばったね、だけではなく、それらの体験・経験を通して、子ども達自身の中に何らかの発見、気づき、振り返り、喜び、やる気、自信などが生まれるような、大人からの声かけや意識的な働きかけがあったかどうかが、それらの価値を大きく左右します。子ども達は、自分では気づかないことが多いのです。言われて初めて気づきます。
 子ども自身のところまで出かけ、一緒に感動し、受け入れ、その上でさらなる課題や親の願いを、子どもの前に示してあげられるといいと思います。そんな中から、今まで目を向けていなかった世界に気づいたり、それを克服する新たな自主的な活動が育ってきたりするかもしれません。自分がめざす「夢」につながるものが生まれてくるかもしれません。
 夏の体験が、それぞれの子どもをひとまわり大きくさせ、きらきらした顔で学校に戻してくれました。「みんな、おかえり。」
 持ち帰って来たたくさんの思い出を、思い出だけでなく次の学びの力に変え、前期の後半、9月を迎えます。





2007年7月号
より

  

「緑のカーテン」育てよう       校長  酒井勲


 いよいよ7月、暑さも本番を迎え、子どもにとっても夏休みが待ち遠しい季節となりました。この暑さに入る前、PTAの方々のご協力により、ここ数年収集されてきたベルマークをもとに、第二校舎と特別教室に待望の扇風機が設置されました。かぜのない日などは、この涼風がほっと息をつかせ、次の学習意欲につながっています。本当に心から感謝です。
 さて皆さん、港北区が市内で一番暑い区であるって、ご存知でしたか。じつは2006年度実績で平均気温が27.4度と市内18区で最高を記録。日中の最高気温が30度を超す真夏日の数も41日で最多だったそうです。(新吉田東の気温観測地点による)これは、臨海部などで人工的に排熱された空気が海風に乗って内陸の港北区に運ばれるといわれています。
 そこで、菊名小学校ではこの度、港北区役所がすすめる「緑のカーテン」づくりの事業に応募し、さっそく6月7日に4年生以上の環境委員27名を中心に、チャレンジしました。
 「緑のカーテン」とは、夏の暑い時期に、日当たりの良い窓の前面をツル性植物でカーテンのように覆うものです。室内への直射日光を抑えるとともに、葉からの水蒸気によって周辺音頭を数度下げることができるそうです。
 当日はプランターにゴーヤの苗を植え付け、ネットに這わせました。8〜9月には、立派な「緑のカーテン」が第二校舎家庭科室の窓を覆うことでしょう。子ども達は、この世話を通して、緑の成長を身近に観察し、その生命力に圧倒されることでしょう。そして、これが地球温暖化などの環境問題を考える一つのきっかけにもなることでしょう。もう、つるは1メートル以上にも達し、黄色い花もたくさんつけています。
 学校では今、子ども達が様々な命の輝きにふれています。先日は、廊下を歩いていると、「校長先生、見て見て。」と2年生の子に教室の中に案内されました。そこには、羽化したばかりのトンボが数匹水槽の縁につかまり、まさに飛び立つ準備中。これは菊名小プール産のヤゴ。これを見つめる子ども達の目は、トンボの目玉よりも、ずっとずっとまんまるでした。(他のクラスからも次々飛び立っていきました。)
 中休み,3年生の男の子が小さい箱を大事そうに抱えて、校長室に飛び込んで来ました。「先生、こんなに大きくなったんだよ、ほら。あれっ、うんちしちゃってる。でも、こいつかわいいんだよ。今度名前つけるんだ。ねえ何がいいと思う。」箱の中では、桑の葉の間で立派なカイコが、むっくむっく動いていました。
 緑のカーテンも、トンボも、カイコも、それを見つめる子ども達も、みんなこの時期、命の輝きを存分に発揮していました。





2007年6月号
より

  

子どもたちは考える。みんなで考える。そして、動き出す。

副校長 江田 久美子

 若葉の陰から顔を出した小さなピンクのさつきの花に、「やっと咲いてきたね。」と声をかけて、菊名の坂を上る頃になりました。初夏の風が吹く、よく晴れた日々、子どもたちは、校庭いっぱいに広がって、スポーツフェスティバル当日にみんなの力が発揮できるように練習しています。

菊名小学校では、毎月第3水曜日の6時間目に、「菊名小学校代表委員会」という子どもの会議が開かれます。代表委員会は、5・6年生の運営委員と4年生各学級代表2名で組織されています。学校生活がよりよく、より楽しくなるように、考えを出し合い、実践し合っている国の政治でいえば国会にあたるものです。4月・5月とすでに2回、代表委員会が開かれました。話し合いの中心は、今年の子どものテーマを何にするか、それをどう実践していくかです。

「あいさつは、菊名小にとって大切なもの、あいさつっていう言葉は絶対入れよう。」

「でも、ただあいさつすればいいっていうものではないよね。」

「あいさつは、した人もされた人も気持ちいいよ。そんなあいさつがしたいよね。」

「あいさつでなかよくなるとみんなにこにこでしょ。わらってという言葉はどうかな。」

こうして、今年の子どものテーマは、

だれとでも わらって あいさつ

なかよくできる 菊名小


に決まりました。

さらに、「あいさつ週間がなくてもあいさつができる

菊名小をめざそう。」「毎日の生活の中で、高学年が率先して取り組んでいこう。」と話し合われました。

 

 今、菊名小の朝は、子どもたちの元気な「おはようございます」で始まります。学援隊の方や教職員をみつけると、6年生が一番にあいさつをします。そして、他学年がそれに続きます。友達同士の親しげなあいさつも聞こえます。

学校全体がなごやかな明るさに包まれて、「子どもは考える。みんなで考える。そして、動き出す。」という菊名小の伝統が粛々と着実に育っていることを感じることができる、うれしいひとときです。







2007年5月号
より

  「今年は これを進めます。」     校長 酒井 勲

 菊名小では、学校教育目標とその具体目標を次のように掲げています。

《学校教育目標》こころ ゆたかな きくなの子

〈具体目標〉
 ○学び愛のよさを実感しながら、よりよい解決を目指そうとする力を育てます。(解決・学び合い)
 ○自分の思いや願いを大切にし、自信をもって表現したり活動したりする力を育てます。(個性)
 ○人とのふれあいを大切にし、互いに認め合い支え合いながら活動できる力を育てます。(共生)

今年度はさらにその具体化を目指すため、次の「5つのポイント」を重点的に進めます。

@あいさつ・ふれあい
 「おはようございます。」「こんにちは。」「さようなら。」だけでなく、「ありがとう。」「どういたしまして。」そんな挨拶に溢れている学校を目指します。また、昨年度は全校たてわり活動だけでなく、兄弟学級同士の相互授業見学や様々なふれあいが多く見られましたが、今年度はさらにそれを広げ、深めていきます。

A読書活動の重視
 週2回の朝読書に加え、保護者や地域の方々による読み聞かせ「まごころの会」の協力をいただきながら、読書活動を進めていきます。これは拾い意味での読解力の向上につながるものです。今年度は市から「まちとともに歩む読書活動推進校」の指定を受けています。学校・家庭・地域ぐるみで推進する読書活動の充実を図ります。

B授業力向上のための研修の強化
 今年度は昨年に引き続き算数を重点教科にし、「互いのよさを生かし、学び合う子の育成」−子ども自らよりよい解決を目指していく支援のあり方−をテーマにし、外部から講師を招いて、「しっかり教え、しっかり引き出す指導」に努めていきます。

C校内LANの整備と研修
 各教室にパソコンを1台ずつ配置し、それらを結ぶ回線の工事を今年度中に実施します。これは地域・保護者の皆様のご奉仕をいただきながら進める工事です。時期が来ましたら案内をお出ししますので、どうぞご協力をお願いいたします。またそれに合わせ、教職員の情報教育の研修に努め、LANが有効に機能するようにいたします。

D安心して学べる学校環境の整備
 昨年度立ち上げた「菊名小学援隊」は皆様のご協力を得て、市内有数の規模と内容を見るに至りました。現在、PTA・地域合わせて120名余の方々が、8時から16時まで3交代で、児童の安全のためのパトロールにあたっておられます。今年度は、その「学援隊詰め所」に地域交流室的な意味合いを持たせ、さらに発展充実に努めたいと思っております。皆様のさらなるご協力をよろしくお願いいたします。





2007年4月号
より

     あとの者が さきに          校長 酒井 勲

 枝が見えないほど咲き装っていた桜花も、その中に緑の葉を交え始め、春の足の速さには驚くばかりです。季節は今「百花斉放」。
 ご入学、ご進級おめでとうございます。新しい出会いを迎え、お子様も心はずんでいる日々のことと存じます。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

 3月17日、本校の第56回卒業式が行われました。一人一人に卒業証書を渡しながら、ひとつ残念に思うことがありました。卒業生の一人、常重友希さんが、卒業式の二日前の晩から高熱を出し、卒業式を欠席せざるを得なくなったのです。私達職員は相談し、23日に卒業式当日とそっくりの「たった一人の卒業式」を、同じ体育館で行う計画をたてました。内容は、彼女とご家族をびっくりさせようと、マル秘。
 朝、式が始まる前に体育館を覗いてみて、それはもうこっちがびっくり。何とそこには、同じクラスのたくさんの仲間が、卒業式当日と同じ服装をして座っているではありませんか。彼女のことがずっと気になっていた仲間達は、この事を伝え聞き、とんできたのです。
 担任に引率されて入場してくるその姿はあまりにも感動的で、うるんだ私の目には、ぼやけた絵になって映りました。式後は、彼女をいちばん前に押し立てての記念撮影です。「たった一人の卒業式」は、たった一人の卒業式ではありませんでした。
 式後、数日して、彼女から手紙が届きました。
 「先日は、私のために卒業式をしてくださってありがとうございました。本番みたいにしていただいたので、とっても嬉しかったし、一生の思い出になりました。『タンポポのちえ』の話を聞いて、私もこれからタンポポのように頑張っていきたいと思いました。17日の卒業式に出られなかったことは、本当に残念で悲しかったですが、23日はそれ以上に、先生や友達みんなの温かさを感じました。私も、困っている人や傷ついている人を見たら、優しくしてあげたいと思います。それが私の出来ることだと思いました。本当にありがとうございました。」

 もうひとつ、やはり昨年のこと。ある学年の集会の説明会が体育館であり、皆が集まっていました。遅れて来た子がその中に入ろうとすると、「遅く来たんだから、後ろに並べよ。」との声。それを聞いていたそばの女の子が、「いいじゃん、遅れて来て分かんなくて困ってるんだから、前に座らせればいいじゃん。」

 わずかな差で先んじれば利益が膨らみ、冨が一部に集中して「勝ち組」「負け組」に陥り易いこの格差社会にあっても、「あとの者がさきに」は、人間として忘れてはならない心の一つではないでしょうか。そんな心がいっぱい溢れる学校にしていきたいものです。






2007年3月号
より

        つながる命               校長 酒井 勲

 過日、学区内にある動物病院の相原先生に、飼育委員会の児童向けに話をしにきていただきました。世話をしているウサギやニワトリの体の仕組み、世話の仕方等を教えてもらうためです。今回は、特別に動物用の聴診器をご持参くださり、ウサギやニワトリの心臓音を聞かせてもらいました。
 「ほうら、聞いてごらん。」「うわあ、ほんとに聞こえる。」「すっげえ速い。」「人間とおんなじだ。」「初めて聞いた。」相原先生はそれを見ながらにこにこしています。
 頼りない心臓の音が小さくコトコト聞こえてきます。こんなに小さな生き物でも命あるというのはこういうものかと、一人一人が命を感じ取っているように見えました。
 前に、こんな話を聞いたことがあります。初めて飼育委員会に入って自己しょうかいしたある子が、「ぼくは動物に関しては詳しいです。結構知っています。だからいろいろ教えられると思うので、聞きに来てください。ウサギは哺乳類、ニワトリは鳥類、両方とも恒温動物なので体温があります。でも、カメは爬虫類ですから、一定の体温ではありません。」と、得意気に話したそうです。その後みんなで飼育小屋に行き、代わる代わるウサギを抱っこする段になりましたが、その子はなかなか抱こうとしません。抱けないのです。やっとの思いで恐る恐る抱いての第一声は、「えっ、あったかいんだあ!」だったそうです。
 「知っている」というのは、知識として知っているのであって、血のかよっている温かい命を、知識では知ることは出来ません。触れてみて初めて分かったのです。
 インターネットで調べて、何でも知っているような気になっている現代っ子に、私達大人は、もっともっと大事なことを教えていかなければなりません。知識は重要だけれど、真実というのは、やっぱり見たもの、体験したものの中にしかないのではないでしょうか。
 2年生で“大きくなったね”という「いのちの学習」がありました。(これは1年から6年まで系統的に指導されています。)おなかの中の赤ちゃんの様子を学んだり、産まれた時の自分の様子を聞いて、大事に育てられた自分を実感したりして、命の大切さを学びました。感想の中から、いくつか紹介します。みんな、「つながる命」に気づきました。
・みんな、私が産まれてくることを楽しみにしていてくれたことを知って、嬉しかった。
・私達は、お母さんやお父さんがいなかったら、産まれてこなかったんだな、と思いました。いのちってすごいなあ、と思いました。
・辛いのをがまんして、そうしてまで産んでくれたのが分かりました。私も、辛くてもがまんして赤ちゃんを産みたいです。産んでから抱っこして喜んでみたいです。
・今日、初めてへその緒を見ました。そうぞうはホースみたいだと思ったけれど、小さくて、アサリの身みたいだった。
・(黒い画用紙に針の先で穴を開けた紙を見て)黒いカードに光を当ててみたら、私がおなかの中にいた初めてのいのちを見ました。とても小さくて、目をこらさないと見えないくらい小さかったです。






2007年2月号
より

        両眼視座               校長 酒井 勲

 最近のニュースが、目に、耳に入るたび、「またか」と思うような寒々しい事件が報道され、心が痛むことの多い日々です。私達大人は、こういう時代だからこそ、人の心の温かさ、信頼し合うことの大切さ、愛することの素晴らしさ、命の尊さを、意識して語り伝えなければいけないと思います。
 そういう中にあっても、子どもは日々生きています。生きているために前に進もうとしています。それゆえに、喜びや笑顔が続く時だけでなく、つまずき、悩み、もがいている姿に接することも多くあります。今年も、私たち教師は、そして大人は、子どものそのもつれをほぐし、支援し、前に進めるようにしてやらなければなりません。そのためには、互いに矛盾するような二つの見方が必要になるように思います。
 ひとつは、子どもがどのような問題を起こそうとも、あるいは何回失敗を繰り返そうとも、共感的に理解し、受容しようとする目です。もうひとつは、絶対に許さないぞという妥協のない厳しい目であり、客観的に冷静に見る目です。
 私たちの眼は、左の眼と右の眼との網膜に写る像は少しずつずれており、そのために物体を立体的に見ることができるのだそうです。これを心理学で「両眼視座」というそうです。共感的な目と客観的な目です。それが世界を奥行きをもって、立体的に認知できる大事なひとつの要素となっています。私たちが子どもを見る場合も、このふたつの目が必要なのではないでしょうか。
 ところが、最近の子どもたちは、親に叱られたり、怒鳴られたりすることが極端に少なくなってきているといわれます。その原因のひとつに、親の過保護、そして、親が子どもにどう関わってよいのか、自信をもって望む姿勢が欠けていることも指摘されています。うっかり叱ったりしようものなら、子どもが過度に傷つくのではないか、と思い込み、あたりさわりのない対応をしている親に出会うこともあります。
 叱られることによって、自分にも至らないところがあったということを自覚することも大切です。叱られた経験の少ない子ほど、教師や親の叱責に過剰な反応をし、時には素直さを欠いた反抗をしたり、ふさぎこんでしまったりすることさえあります。人間は「叱られる」「注意される」ことが自然な姿であることを知らせておくことも大事かもしれません。ただ、叱る時には、子どもとの間に親愛の情感が存在することが必要です。叱ることにより、人間関係が深まることを前提にしなければ、単なる「怒った」ことにすぎません。
 「許さないぞ」というところに立つことと、「どこまでも許す」という姿勢との矛盾が成立する場が、ときにはあります。その緊張関係に教育は成り立っているように思います。そんな両眼をもって、この年度末を子どもと接していきたいものです。






2007年1月号
より

        伸びていく力               校長 酒井 勲

 「明けましておめでとうございます。」
正月は穏やかな天候に恵まれ、それぞれのご家庭では、良き新年を迎えたこととお慶び申し上げます。


 昨年末、退職している先輩とお会いして話をする機会がありました。その方は、仕事の関係で、自宅のある神奈川区から藤沢のマンションに一時転居していたのですが、先日、元の自宅に戻ることになり、引っ越してきて庭を見て驚いたそうです。
 数年前「取り木」をして、そのままにしておいた花梨(かりん)が、立派な若木に成長していました。何の手入れもしていなかったので、とても気になっていたそうですが、大らかに、伸び伸びと枝を広げていたそうです。自宅にいた頃は、季節毎に剪定をして枝振りを揃え、消毒・肥料と、手をかけていたのに、その時よりも勢いが感じられたというのです。何か自分の内なるものから出る生命力を見たような気がする、とおっしゃっていました。
 私はその木を見てはいませんが、目には浮かんできます。親木から切り離され、己の生命力で、上へ空へと自由に伸びていくその枝には、何かに向かって進んでいこうとするエネルギーを感じます。何かに向かって伸びていこうとしているのでしょうか。私にはその姿が、日々成長している子どもたちと重なって見えてきます。
 ひとは、自分の意志で「生」を受けたのではなく、この世に「人間」として送り出されてきました。与えられた「私」であるわけです。ですから、一人一人に生きている意味がきっとあります。その意味を見いだすために、子どもも、四方八方に枝を広げていくのでしょう。
 しかし、私たちは時として「ああなって欲しい、こうなって欲しい。」と、親ごころ・教師ごころから、必要以上の声かけをしがちです。それが、時には、子どもが本来持っている力を大人の視点で阻害しているかもしれません。子どもにとって、今、いちばん必要なものは何なのかを、もう一度考えてみる必要がありそうです。
 ひとも木も、本来もっている、自分で伸びていく力、求めていく力を、目に見えない絶対物から生来与えられているような気がします。子どもたちがもっているそんな素晴らしい力を、邪魔しないように、そして迷っている時には適切なアドバイスを、いけないときに厳しい忠告を、そんな声かけをしながら、伸びていく力を支えていける一年となることを願っています。






2006年12月号
より

 「分かった。できた。もっと学びたい。」    校長 酒井 勲

 菊名小学校では、少人数指導を取り入れた、一人一人の個性や能力を引き出す学習形態の研究を続けていますが、今年度は、算数科を基にして実践しています。(低学年は、指導者の人数や児童の適応性などから、一学級2名にティームティーチングによる指導、担任による一斉指導を実施しています。)
 中学年では、当初、クラスの人数を2等分し、二人の教師による少人数指導から始めてきました。こうすることによって、担任は受け持つ児童が少なくなり、一人一人の実態をよりとらえることができ、個に応じた指導がしやすくなりました。
 しかし、算数は教科の中でも個々の習熟度の差が大きい教科です。個々のニーズに応じた指導が必要となってくる場面も生じます。そこで、5、6年生では、ある単元から「基礎」・「標準」・「発展」の計3コースを設定し(呼び名は様々ですが)、自分の必要の度合い(自己評価)によってコース選びをしています。(教師は助言役) 「ゆっくり自分のペースでやってみたい。」「分からないところがあるから、じっくり教えてもらう。」「やり方は分かったので、どんどん練習問題を考えたり、解いてみたい。」「いろんな解き方を発表し合いたい。」等、選択する基準は様々でしたが、皆、はっきりと自分の指針を持っていました。(プレテストによって、自分のつまずきや課題をとらえていました。)
 授業が分からないまま進んでいた子には、分かる楽しさを感じて自信を持って欲しいし、もっと多面的な思考を求め、自分を高めたいと望んでいる子にも充足感を感じて欲しいと願っています。難しすぎたりやさしすぎたりしたら、途中でコースを変更することも、もちろん可能です。
 この方法が、どの学年でも、どの単元でも有効とは言えませんが、一人一人の学力を向上させることは間違いないと思います。また、このようなコース別指導だけでなく、時には「一斉学習」で様々な考えを学び合ったり、「少人数」や「ティームティーチング」の形態を取り入れたりもしながら、児童の実態に合った指導法も研究しているところです。
 「先生、分かった。」「できた、できた。」「ようし、もっとやってみよう。」そんな声が校内からたくさん聞かれるよう、今後も、日々研鑚に励んでいきたいと思います。


○6年生「振り返りカード」から、いくつか○
・僕は、この算数の基礎コースを終えて、よく分からなかった数直線が分かって、いつも算数の授業が来るのが楽しみになった。
・標準コースから基礎コースに移って初め緊張したけど、だんだん慣れてきて、標準では分からなかった勉強も、よく分かったので良かった。
・先生の説明が分かりやすくて、けっこう楽しかった。
・私の場合、問題を解くテクニックは分かるけど、なぜそのように解くのかは説明出来ませんでした。発展クラスでそれが分かりました。自分に合った学習でした。






2006年11月号
より

     お か え り                   副校長 江田 久美子

 菊名小学校の柿やざくろの実が色鮮やかに実り、からすがさっそく目をつけて啄み始めています。昔の人は、柿などの実を全ては採らず、鳥たちのためにいくつかは残しておいたと聞きます。きっとそのときを鳥たちもじっと待っていたのでしょう。
 10月20日の金曜日、暑すぎず寒すぎず、絶好の遠足日和の中、今年度から初めての2学年ごとの「ふれあい遠足」が行われました。
  私は、2年生と5年生と一緒に「四季の森公園」に行きました。準備の段階から、5年生の子どもたちがはりきっているなと感じていたのですが、当日も、出発するとさっそく車道側を5年生の子が歩き、さりげなく2年生をかばっていました。
  四季の森公園に到着し、じゃぶじゃぶ池で遊んでいる時もそうです。集合時刻が迫っていて、5年生は時間を気にしていました。先生方から「そろそろ集まる時間だよ。」と声もかかりました。2年生の何人かはまだ池の中で夢中で 底をあさっています。さあ、私も声をかけて2年生を池からあげなくては・・と思って立ち上がりながら5年生の様子を見て、また座りました。5年生は、待っているのです。幸せそうに遊んでいる2年生を見ながら、自分も楽しそうににこにこしながら待っているのです。2年生が5年生のところに戻ってきました。「おかえり。靴下はこう。」2年生は、満面の笑みで「うん。」


 子どもにかぎらず花でも農作物でも、何でも育てることの上手な人は、待つことが上手な人だなといつも思います。待っていることにいらいらせず、喜びや楽しみを感じることのできる人です。池から上がってくる子をにこにこして待っていた子の姿は、雨の日に傘を持たずに出かけた子どもを駅の改札口で待っている親の姿にそっくりです。
 池から上がってきた子は、その後の集合時刻に一度も遅れませんでした。この2年生が3年後、5年生になった時、きっと低学年を楽しみながら待ってあげる子になるでしょう。「おかえり。」と待ってくれる人のいることの温かさを忘れないでしょう。
 きっと、他の公園に行った学年でも同じような光景がたくさん見られたことでしょう。
 「おかえり。がんばったね。」「さ、帰ろう。」「いっしょに行こう。」
 菊名小学校のふれあい活動(異学年交流)の日々の営みは、「こころ ゆたかな 菊名の子」をじっくり育てているとひそやかな誇りのある喜びを感じました。








2006年10月号
より


        もっと 低く                   校長  酒井 勲


 朝夕の涼しさに加え、敷地内に散る桜葉が心なしか増えているような気がして、季節の移ろいが、着実に進んでいることを感じる今日この頃です。
 この前、一年生の教室に行くことがあって、みんなの前で話をしました。話している途中、ふと下を見ると、目の前の膝の所にも一人いて、窮屈そうに首を真上に向けて、私の方を見ているのです。「おや、ここにもいたんだ。」という感じでした。この小さな一年生から、私はどんなふうに見えていたのでしょうか。
 そこで、思わず下にかがんで目線を合わせてにっこりすると、目の前に、とても素敵な笑顔が見えました。相手の目線に合わせると、距離がぐっと縮まって、気持ちまでが伝わってくるようです。
 時折、混雑している電車の中で、180センチ位の背の高い人を見かけることがあります。そんな時、「この人、電車の中、どんなふうに見えるのかなあ。」と思ってしまいます。聞いた話ですが、高さが20〜30センチ違うごとに、世界が違って見えるそうです。そうだとすると、先程の一年生は、私たちとはずいぶん違う世界を見ているわけですね。かがんで話すということは、高さを同一にするだけではなく、見える世界も共有しているのです。そして、それは、相手との距離を縮める大切な手段であることに気づきます。

 私は、小さい頃、虫を捕まえたり、アリを瓶の中で飼って観察したりするのが好きでした。時には、原っぱに腹ばいになって、虫たちを眺めることもありました。体をずうっと下げて、地面すれすれまで目線をもっていきます。すると、そこには、今まで上から見下ろしていた枝や小石を越えて行きますし、小さな水たまりでも、それは、まるで、広大な湖かダムのようです。そこに自分の体を横たえていると、聞こえてくるんですよね。虫たちのつぶやきや、ジャングルの大木のように見える雑草や花たちのささやきが。

 私たちは、つい、自分の目線で人を見てしまいます。そうすると、相手が何を見ているのか、何を考えているのかを見過ごしてしまうことが多いです。かがんだり、背伸びしたりして、目線を合わせて話ができたら、もう少しいろんな声が聞こえてきそうです。
 ひょっとして、子どもたちの目線(心の線)とずれてはいないかな。もう一度、自分をもっと低くして、見つめ直してみようと思っています。





2006年9月号
より


「先生、気入れてやりましたよ。」          校長  酒井 勲


 後半になって厳しい暑さが続いた夏休みも終わり、今日から学校が始まりました。子ども達の元気な声や笑顔が校舎に戻って来て、いよいよスタートです。
 そんな中、今年も全国の様々な所で子ども達が痛ましい事件や事故に巻き込まれたというニュースをたくさん耳にしました。そのたびに、未来ある大切な命が途切れてしまったことの痛みが心に残りました。お陰様で、菊名小では大きな事故もなく今日を迎えることができましたことを嬉しく思いますとともに、お世話いただきました様々な立場の皆様に心よりお礼申し上げます。
 この夏もまた、「まち」の方々や保護者の皆様にお世話いただきながら、子ども達は様々な成長を見せてくれました。休みに入る前は、町のいろいろな施設にお邪魔し、その役割や働いている方々の仕事の様子を見学したり、話を伺ったりすることが出来ました。どの施設も子ども達を快く迎え入れてくださり、「まち」を再認識するよい機会となりました。また、地区センターやコミュニティーハウス、図書館でも子ども達に向けた企画や配慮をしてくださり、感謝申し上げます。
 夏休みには、できるだけ多くの地域行事に参加するよう子ども達に勧めましたが、特に各町内会で行われました盆踊りには、たくさんの子ども達が嬉しそうに参加していました。特に今年は、地域の方から声をかけていただき、盆踊りの「前座」に、初めて子ども達の「ソーラン乱舞」を加えていただきました。希望者中心の有志の参加ではありましたが、5・6年生の参加者は大いに燃え上がり、15・16日は菊名北町町内会、29・30日は表谷町内会・西口商店街に出演し、アンコールに応えて2回も踊ったり、日によっては人数が少なかったりもしましたが、皆様にとても喜んでいただきました。
 ある日、踊り終わった子ども達数人が私のそばに寄って来て、「校長先生、気入れてやりましたよ。」と、流れる汗をそのままに、本当に清々しい顔と声で報告してくれました。こんないい顔は学校では見たことがない。知らない多くの人達の前で、「やらされている」のではなく「やっている」のです。恥ずかしそうに踊っている子は一人もいません。自分から申し込み、出演する直前にも誰からともなく声かけし、練習している姿を見て、この子達の変わりように驚きました。みんなに期待されている、認められている、やれば出来るんだ、そんな自信が「スポーツフェスティバル」から、ずっと続いてきたのでしょう。この夏、地域の中で、自分で切り開いて来た道でした。いろいろ言われる現代っ子も、なかなかやるじゃないか。
 「ひとしごと」やり終えて帰っていく後ろ姿が、とても大きく見えました。この子達は、きっと何かを得たに違いない、そう感じた夏の夜でした。





2006年7月号
より


「スイミーと いっしょだね」            校長  酒井 勲


 私の小さい頃は、学校にプールはありませんでした。水泳という学習はなく、みんな近くの谷川で自己流の泳ぎを覚えたり、潜って魚を捕えたり、岩から飛び込みをしたりするのが、夏の一番の遊びでした。もちろん水着などはありません。下着が普通でしたから、(ベロといって、何も着けていない子もいましたが。)「水泳」などという呼び名はなく、みんな「水浴び」と言っていました。暑くて、先生も授業をしたくない(?)時は、みんなで学校下の川へ臨時体育で出掛けます。今では考えられない思い出の一つです。
 さて、今の水泳学習の準備段階の種目の中で、子どもたちがとても喜ぶものの一つに、「ぐるぐる回り」というのがあります。みんなで並んで、または一つの固まりになって、プールの外側を一定方向にぐるぐる歩いたり走ったりするのです。すると子どもたちの集団は一つの水の塊となり、プールないに大きな水の流れが生まれます。そうなると、力を入れて泳がなくても、その塊の中にいさえすれば、水流に乗り、楽々泳いで行けるのです。
 その様子を見ていて、私は2年生の国語の教科書の中に出てくる「スイミー」という教材の、ある場面を思い出しました。
 スイミーは、小さな魚の兄弟たちと暮らしていたある日、大きな魚に襲われ、一呑みにされてしまいました。逃げたのは一匹、真っ黒い色のスイミーだけ。怖くて、寂しくて、悲しい何日かを泳ぎ続けた後、スイミーは、岩かげに隠れている小さなたくさんの赤い魚たちを見つけ、元気づけ、大きな魚に対抗する術を一緒に考えます。そして生まれたのが「そうだ、みんないっしょに泳ぐんだ。海でいちばん大きな魚のふりをして。」
スイミーは教えました。決して離れ離れにならないこと、みんな持ち場を守ること。みんなが、一匹の赤い大きな魚みたいになって泳げるようになった時時、スイミーは言いました。
「ぼくが目になろう」
 変身した小魚たちは、一つの塊の水流となって大きな魚を追い出した、というお話です。
 今、目の前のプールの中にいる子どもたちは、「ぐるぐる回り」をしながら、離れ離れになっている者もいるし、持ち場を守らずにぐんぐん追い抜いて行く者もいるし、先生の話も聞かず逆走している者もいて、とてもとても、まとまりのあるスイミーたちのようにはいきませんが、大きな一つの水の塊になって泳いでいるのは確かです。
 以前、「泳ぎ続ける回遊魚のマグロはいつ眠るのか。」と言う話を子どもにしたことがあります。あれも、多数の群れを成して泳ぐ時、そこに一つの水の塊が生じ、疲れたマグロはその中心部に入って、一緒に連れていってもらうという話です。
 泳ぎ続ける子どもたちを見ていて、その嬉々とした表情のままで、これからもみんなで支え合い、励まし合い、成長し続けて行って欲しいと願った、初夏の一日でした。





2006年6月号
より


学援隊は 笑顔と知恵と夢が いっぱい
                                   副校長 江田 久美子


「おはようございます。学援隊にきました。」
 毎朝8時ごろ、職員室にボランティアの方の声が響きます。5月22日月曜日から「菊名小学校学援隊」がスタートしました。学援隊とは、「子どもたちが安心して安全に生活できる学校」をめざした学校生活見守りボランティアチームのことです。現在、保護者・地域の方を合わせて96名の方が登録しています。
 学援隊詰め所は、第一校舎となりにあります。学校の真ん中を通っている地域の方の生活道路から見える旧焼き釜庫のところです。

「モニターテレビがどこを映し出しているか、わかるといいね。」
「学援隊に来たらどこから職員室に声をかけるか地図を詰め所の外に貼っておくと次に来た人が困らないよ。」
 初日に来た方が二日目、三日目と手伝いに来て、皆さんでわいわいと必要なものを整え、殺風景な詰め所が憩いの場に変わりました。
 詰め所の中には、皆さんの笑顔がいっぱいです。

「敷地内パトロールは校舎の裏の入りくんだ所もするといいです。」
「チェック項目表を作ったらどうでしょうか。必ずしなければいけないことがよく分かるようになると思います。」
 ボランティアの皆さんが活動記録の裏に書いてくださった「気がついたこと」です。
 活動記録の中には、皆さんの知恵がいっぱいです。

 「菊名小学校学援隊」という新しい活動を通して保護者・地域・学校が一つになろうとしています。老人クラブからお借りした黄色のベストを着て、保護者が学校の中をパトロールしています。隊長の菊名北町町内会の大沢さんが街のパトロールの途中に活動の様子を見に来てくださいます。子どもたちも7月の代表委員会で学援隊の看板を考えます。
 今後、子どもたちと地域の方が一緒に給食を食べたり、地域の方の話を保護者がじっくりと聞いたり、保護者同士の輪が広がったり、生活道路を通る地域の方が気軽に詰め所に寄っておしゃべりしたりできたらいいなと願っています。

 「菊名小学校学援隊」は、笑顔いっぱい、知恵いっぱい、夢いっぱいの場所です。




2006年5月号
より


「山吹が咲くころ」には           校長  酒井 勲


 私の田舎(福島)の生家の横を10歩ほど歩くと、底まで透き通って見える渓流が、今でも姿を変えずに流れています。瀬音は一日中家の中まで聞こえてきていて、来客が泊まった時などは、うるさくて眠れないようでした。
 幼少のころ、少し上流まで行けばいくつもの滝が連なっていて、いつも子どもを迎えてくれました。そこで泳ぎも覚えたし、潜って魚捕りもしたのです。
 春になると、今はもう亡くなってしまった兄と、川の淵に小石で「人工の瀬」をよく作りました。腹を婚姻色で真っ赤に染めたウグイが、その浅く作られた瀬に産卵のために乗り上げ、バシャバシャしているところを、一網打尽にするのです。  横浜に来て、よくそういう話を人にした時に、 「瀬はいつ作るの。」 「魚はいつごろ上がるの。」 そんな質問を何度かされたことがあります。そんな時はいつも、 「山吹が咲くころ。」 と答えるのです。
 家の横を流れる川の土手には、一本の一重の山吹がありました。『川岸の山吹が咲き始めたら』、それが自然と私達とのシグナル。早い春でも、遅い春でも、この自然の摂理は私を裏切ることはありませんでした。
 これに似た話は、各地に今でも多く残っています。農家はカレンダーではなく、自然の変化に合わせて作業を始めたといいます。春、山肌に現れる残雪の形を見て、土起こしや田植えに取り掛かったというのも、まことに理にかなったものです。蝶ヶ岳、爺ヶ岳、白馬岳などは、その名残なのでしょう。
 ふと、日々行われている教室での授業風景を思います。何年生になったら何々の勉強をする、何々を習う、何々が出てくる。しかし、それは出会うのであって、すべての子どもが即、何かが出来るようになることとは違います。
 その年その年の気候によって、山吹が咲く時期が違っているように、農家の方がことを始める時期が違っているように、一人一人の子どもが持っている力が開花する時期も違うはずです。
 それらをゆったり見つめ、心待ちする心を自然から学びとりたいものです。




2006年4月号
より


笑いが いっぱい           校長  酒井 勲

 例年になく開花が早く、入学式までは持たないかな、と心配していた桜もどうやら持ちこたえてくれて、一緒に新入生を迎えてくれました。
 桜の陰にかすんでしまってはいますが、校内の木々にも、新入生と同じようなやわらかな新緑が芽吹いていて、これまた違った美しい色合いを見せています。一本一本、どれをとってみても同じものがなく、それぞれが自分の個性を表現しているようです。今、学校はたくさんの輝いている笑顔でいっぱいです。
 進級の喜び、新しい友達との出会い、そして、これから一緒にやっていく担任との出会い。特に、今までの自分からの脱皮を図っている子にとっては、「今の自分をそのままにみて欲しい。」という思いがきっとあることでしょう。
 朝の出会いの挨拶の中に、休み時間のじゃれあいの中に、先生との会話の中に、学び合いの中に、笑いが溢れています。
 「笑い合う」、それは様々な場面で見られますが、やはり一番大切なのは、「学校が楽しい」という根幹を成す「勉強が分かる」ということではないでしょうか。
 子ども達は、学びたいという気持ちを持って学校にやって来ます。そして、何かを知った時、分かった時、それは本当に嬉しいものです。「そうか。」「分かった。」という時の、あの、にこっとした顔に勝るものはありません。
 今年、菊名小では「互いのよさを生かし、学び合う子の育成」というテーマのもとに、「個々の力を高める算数科授業の創造」を重点研究として、全員の教師が取り組みます。「分かった。」「できた。」という子どもが一人でも増えるような、そして、様々な考えが自由に発表出来るような授業研究を通し、一人一人の教師の指導技術を高めていきたいと考えています。
 今年度、新入生127名を加え、全校児童728名で新学期がスタートしました。新しい先生も11名を数え、あの子にこの子、今みんな笑いに輝いています。
 周りの木々は「山笑う」から、次第に、より自信に満ち溢れた色に深まっていきます。私たちも、自然の後を追いかけて、笑いながら自分色に染め上げていきたいものです。



ひみつ  谷川俊太郎

あたし しってる
あたしの あと
あなたの あは
おんなじ あなのよ

ぼく しってる
どせいの いちばん
おおきな えいせいは
たいたん

そのほかにも せんせいって
なにを おしえてくれるかな
もしかすると すごいひみつ
そっと おしえてくれるかな