霧一小 だ よ り

平成16年8月31日

共   生

   学校長 谷 川  克

8月のお盆に久しぶりに田舎の福井に里帰りをして来ました。久しぶりに見る山並みは夏の青がすみでまぶしく光り、入道雲を後ろにかかえてとても逞しく見えました。

山にはいろいろな思い出があります。田舎では、各家がそれぞれに小さな山をもっていますが、昭和30年代頃より木々の伐採が盛んに始まり、その後にスギやヒノキの苗木をどんどん植えていました。手が足りなかったので、子どもたちも植林の手伝いをしました。小学校の5年生ごろからは、苗木よりも成長の早い雑草や雑木を刈り取る下刈りの仕事を手伝わされていましたが、下刈りの仕事は、木が自分の身長をはるかに越え、2メートル位になるまでの間の7年から8年位まで続けなければなりません。〃なぎなた〃のような大きな鎌を使って、朝は涼しい内に山の裾から刈りだして夕方まで続けるこの作業は、決して簡単な仕事ではありませんでしたが、子ウサギを見つけたり雑草の間から顔を見せている笹ユリや山のイモのツルをよけたりすることで、自分なりの楽しみも見つけていました。先日あるテレビでその下刈りについての放送がありました。私流の考えでは、下刈りこそ苗木にとって無くてはならないものと思っていたのですが、下刈りをしたために、山の表土が流され苗木そのものが育たなくなってしまったと言うのです。意外でした。京都大学の演習林にずっと携わって来られた赤井龍男さんは、笹薮を切り開いて植えたヒノキの植林の山を何度もこの下刈りによって失ってしまったそうです。品種を考えたり下刈りの時期をずらしたり色々と実験を試みたそうですがヒノキよりも育ちが早い笹を除く方法は見つからなかったようです。ところが、ある時ヒノキの天然林の中で朽ちている倒木の横で元気に育っているヒノキの苗を見つけました。倒木の回りには色々な若木もありますが、笹薮に植えた苗の育ちとは大違いです。この様子を見た赤井さんは「これだ。これしか無い」と強く感じたそうです。つまりヒノキに害のある邪魔な笹を刈り取ろうという発想から、ヒノキと笹を一緒に育てるという発想へと切り替えたのです。笹を刈り取らず笹の生育を遅らせるという矮化剤の使用によりヒノキの植林は次々と成功を収めていったのです。

  また、赤井さんは、ヒノキの植林についてもヒノキだけでなく下草として残す笹の他にヒノキとブナの混合林を作り出すという仕事を続けてきています。

  赤井さんの考えや発想の素晴らしさに思わずテレビにくぎづけになってしまいましたが、心に残る言葉がありました。「人はいくら頑張っても一代ヒノキの一生を見届けることはできない。何十年も、時には何百年もの先を見据えて仕事に携わりたい」「うまく行かないとき、悩んでもどうにもならなかったとき、ヒノキの声に耳を傾けるということを大切にしなければという事を学びました」この赤井さんの言葉の中に、教育の場にも通じる大切な見方があるものと考えます。

  長い夏休みを終えて霧一にも元気な子どもたちの声が帰って来ました。逞しく日焼けした顔を見ると、一人ひとりにとって掛け替えのない夏の体験があったことが伺われます。

  いよいよ9月がスタートしました。学校という集団生活の中でこそ味わえる共生の良さを改めて見直し、色々な場面で生かしていきたいと思います。今月もよろしくお願い致します。


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