学校のあゆみ

学校の あゆみ

 

★その前に、六浦と金沢の歴史を簡単に振り返りましょう。

 

鎌倉時代 <海岸線はこちらから>

この時代には、平潟湾が奥のほうまで入り込んでいて、六浦は、六浦津(=港)として栄え、幕府に届けられる年貢米などが陸上げされていました。物資は、六浦津から朝比奈の切り通しを通って、鎌倉に運ばれました。六浦津は、今の上行寺の前あたりにあったといわれています。そのあたりには「渡場」という地名が残されています。

瀬戸神社や琵琶島神社が1180年に源頼朝・政子夫妻によって歓請され、上行寺が1254年に建てられました。 称名寺に、金沢文庫が作られたのが、1275年頃といわれています。瀬戸の橋がかけられたのが1305年、泥牛庵、長生寺、金龍院、千光寺が建てられたのが1300年代ですので、鎌倉時代をはさんだ 12〜14世紀には、六浦・金沢が大変栄えたことがうかがわれます。

江戸時代 <海岸線はこちらから>

この時代には、平潟湾の塩作りが盛んになり、六浦や洲崎のあたりに、海を干拓した大きな塩田が作られていました。今も残る塩場の名は、この塩田からきています。

また、江戸時代には、金沢の八か所のきれいな景色が「金沢八景」として評判になり、有名な浮世絵師によって、絵に描かれたりして、この「金沢八景」は観光名所として、昭和のはじめのころまで、栄えていました。その観光の中心が、金竜院の上に作られた「 九覧亭」です。九覧とは、八景すべてと富士山の計九ヶ所がよく見えるという意味です。今は九覧亭の跡に「聖徳太子堂」がたっています。地図には、「八景」の場所と名前が書いてありますので、今どうなっているか、見に行ってみるのも面白いですね。

今も金沢八景駅のそばにある藁葺きの家は、この時代に作られた円通寺というお寺の客殿です。

そして、泥亀新田(入江新田)の名で知られる、瀬戸神社の北の海の干拓は、江戸時代の始め頃に始まり、たびたびの台風などの不運をのりこえ、ようやく完成したのは、江戸時代の終わり頃です。

 

明治時代になって  <海岸線はこちらから>

新しい時代になってからの六浦は、神奈川県久良岐郡三分村という、三百戸ほどの小さな農漁村でした。人々は、主に農業を営んだり、塩田で塩を作ったりして、暮らしていました。そこに、1873(明治6)年、光伝寺の本堂を借りて、三分学舎が建てられました。

 

 

◇六浦小学校のあゆみ

◎写真や海岸線の変遷は、「目で見る六浦小のあゆみ」のページに、まとめ てあります。

歴史@

1873 - 93

歴史A

- 1934

歴史B

- 1972

歴史C

- 1983

歴史D

- 2004

歴史E

海岸線

年 表

1873 - 2004

六浦小

TOP

 

   <注>  写真1等の下線のついているところをクリックすると、当時の写真が見られます。

         ※印は、本文の簡単な説明で、☆印は、六浦の町の様子を示すものです。

1873(明治 6)年

三分学舎創立<第一大学区・第七中学区・第七十四小学>。

 光伝寺本殿一棟借用。 =写真1

1878(明治11)年

久良岐郡公立三分学校。

 

※侍従川の高橋のそばに、新しい校舎(=写真2木造二階建校舎(=図@が建てられました。

  このときの学校の看板(=写真3が、今も六浦小の職員玄関に飾られています。

1889(明治22)年

☆三分村が、六浦荘村と改められました。

1893(明治26)年

久良岐郡尋常三分小学校。 校舎はたびたび増築を重ね、大きくなっていきました。=写真4図A

1900(明治33)年

久良岐郡六浦荘尋常高等三分小学校。<高等科が設置 > 

1901(明治34)年

本校最初の帽章が制定 、明治41(1908)年改訂。 =図B

1908(明治41)年

本校最初の校歌が制定。=校歌のページへ

1910(明治43)年

☆塩田が廃止され、田んぼや畑になりました。その翌年白山道トンネルが開通。

1923(大正12)年

久良岐郡三分尋常高等小学校。

9月1日,関東大震災により ,校舎全壊しばらく、近くのお寺などで、わかれて勉強しました。

1926(大正15)年

六浦荘村立六浦尋常高等小学校。現在地に移転し,開校式を行う。 = 写真5図C

釜利谷小と合併。釜利谷分教場設立

 

※この移転の際に、三分学校にあった、大きな黒松の木とシュロの木を村の人の力を借りて、

  今の六浦小学校に植え替えました。その後、火災にもあいましたが、今も元気に育ってい

 ます。=写真6

※新しい場所に移った際に、今使われている学校のマークが作られました。=図B

1930(昭和 5)年

☆黄金町と浦賀、金沢八景と逗子を結ぶ湘南電車(今の京浜急行)が開通しました。また、追浜や

 横須賀に軍の基地や工場が、八景には東急車両工場ができて、六浦の人口が急に増えていき、校

 舎の改築がたびたび行われました。昭和7年からの11年間で、人口が5倍以上に増えたそうで

 す。金沢は、それまでの観光地から、住宅街に変わっていきました。

1934(昭和 9)年

逓信大臣小泉又二郎氏より、二宮尊徳石像を寄付され、設置する 。 =写真6

1936(昭和11)年

久良岐郡が横浜市磯子区に編入され、六浦荘村が六浦町となり、横浜市六浦尋常高等小学校となる。

1940(昭和15)年

校歌制定 =校歌のページへ

1941(昭和16)年

横浜市六浦国民学校(1360名)

1944(昭和19)年

釜利谷国民学校,大道国民学校が分離独立

1945(昭和20)年

 

 

 4月 戦争の空襲による被害を考え、児童は親元を離れて、北秦野へ集団疎開。

  3〜6年の児童198名が、秦野国民学校・定源寺・横野集会所に分宿。

  1・2年の児童は、瀬戸・瀬ヶ崎・高谷・六浦の集会所で、先生が出向いてきて、そこで勉強しました。

  高等科の生徒は、海軍航空技術廠支廠(東急車輌)と日本製鋼横浜製作所に動員されて働きました。

 終戦後の10月、北秦野から本校に戻ってきました。

1947(昭和22)年

大道小へ統合され、一時休校。校舎は六浦中学校となり、一部を大道小六浦分校として使用。

11月15日,横浜市立六浦小学校として、復活。

1948(昭和23)年

学校給食始まる。PTA組織が発足。 金沢区が磯子区より独立誕生。

1953(昭和28)年

創立80周年式典。=写真7 当日, 新しい校歌を発表。=校歌のページへ 海岸線はこちら

1955(昭和30)年

瀬ヶ崎小が分離独立。

1959(昭和34)年

東洋化学火薬庫爆発。天井・廊下破損。96名負傷。=写真8

1960(昭和35)年

水泳プール施設完成。

 

☆この頃から、平潟湾の埋立や学校の北側の山の宅地開発が進み、新しい住宅が増え始める

1965(昭和40)年

火災発生。木造二階建校舎焼失。 =写真9

1966(昭和41)年

鉄筋三階建校舎新築。 =写真10

1972(昭和47)年

鉄筋四階建校舎完成。 =図D

1973(昭和48)年

創立100周年記念式典。100周年記念の石碑、岩石園を設置。 =写真11 写真1

1974(昭和49)年

屋内体育館完成。

1982(昭和57)年

鉄筋四階建校舎増築完成。 =写真13

1983(昭和58)年

創立110周年記念式典 。 =写真1

1985(昭和60)年

和室設置

1987(昭和62)年

文部省より算数科教科書調査研究協力校として 指定を受け、10月授業公開と研究会を行う。

1988(昭和63)年

NHK合唱コンクール県大会にて銅賞受賞

1989(平成元)年

NHK合唱コンクール県大会にて 銀賞受賞

1990(平成2)年

NHK合唱コンクール県大会にて銅賞受賞。人権教育推進校(平成2〜5年度より)。

1992(平成4)年

NHK合唱コンクール県大会にて銅賞受賞 。市民図書室開設

1993(平成5)年

創立120周年記念式典・祝賀会 。 =写真12

1994(平成6)年

4年生の体験学習が始まる(上郷・森の家)。

5年生の体験学習が始まる(野島・青少年研修センター)。

長野県寺尾小学校と小田切小学校の交流会。

 子どもたちの作った大きなハニワをいただく 。 =写真14

1995(平成7)年

第一回子ども祭りが始まる。1月17日 阪神淡路大震災。

飼育小屋が今の場所に移され、広々とした運動場ができる。

長野県信里小、信日小との交流会。すばらしい版画をいただく。

1996(平成8)年

昭和12年六浦尋常高等小学校卒業生35人の皆さんが、卒業60年記念として、『槙』を植樹。

1997(平成 9)年

スクールゾーン対策協議会が横浜市交通安全対策協議会の表彰を受ける。

1998(平成10)年

北海道紋別の佐々木好子様より、クリオネ13匹が贈られ、児童に公開しました。

はまっ子ふれあいスクール開設。

6年生の鎌倉修学旅行が始まる。第1回 PTAファミリーコンサートが始まる。

保健相談室が新設。放送室がA棟一階より、今の場所に移され、スタジオ併設。

1999(平成11)年

六浦小PTAが神奈川県交通安全協議会より表彰。

第一回ふれあいタイム開催。それ以降、地域の方々とのふれあいを深めてきました 。 =写真15

2000(平成12)年

第一回総合学習発表会が開催。視聴覚室が新設。

2001(平成13)年

第22代 野村作次郎校長着任。パソコン室開設、ノートパソコン10台を設置。

2002(平成14)年

それまでの子ども祭りと総合学習発表会とを「六浦フェスティバル」として統合し、開催。

2003(平成15)年

130周年記念式典開催

2004(平成16)年

 校庭の改修工事完了。遊具も新設されました。 パソコン室にノートパソコン12台追加。

2005(平成17)年

 第23代 慶徳正好校長着任。9月A棟校舎の耐震補強工事完了。

 

 11月、児童増により、第1学年・2学年が 2学級から3学級へ。

2006(平成18)年

 児童数が増え、昨年度の普通学級12(→14)学級から、17学級へ。個別支援学級2学級は変わらず。

 

 児童増に対応するため、プール横に、プレハブ校舎を増築、視聴覚室、はまっ子教室がプレハブ校舎に移転。

 

 移転後は、普通教室に転用。新視聴覚室に、新しいノートパソコン22台が追加。

2007(平成19)年

 校内ネットワーク工事が完成。各教室にノートパソコンが設置され、教室でインターネットができるように。

 プレハブ校舎2階に、歴史資料室が完成。

2008(平成20)年

 

 第24代 法村盛郎校長着任。 

 今の海岸線は、こちら

 

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校章について    
     

 

桜の花の弁で六浦の六の字を,

花の中に小の字を、

それぞれ表しています。

 



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