駅から学校への途中の風景
長津田駅南口
横浜線は1908年(明治41年)に長野・山梨あたりの生糸を八王子から横浜港へ運ぶためにつくられました。当時は汽車で,1日わずか5往復でした。長津田から東神奈川までが23銭,1時間もかかったそうです。(現在は24分)
長津田地区センターは昭和57年4月14日に建てられました。この施設は,子どもからお年寄りまで,話合い・スポーツ・レクレーションなどを通して,「仲間づくり」や「ふれあい」を深める交流の場として利用されています。
大正10年の秋,陸軍の大演習が長津田駅の北東に広がる原で行われました。その時,当時の皇太子殿下(昭和天皇)が丘の高いところで演習をごらんになりました。そして記念の松をお植えになりました。
これを記念して,まちの人たちはkの丘一帯を憩いの場所とし,大正11年10月に「皇太子殿下御野立(おのだち)之跡」と記した花崗岩の記念碑を建てました。そして,ここを御野立とよぶようになりました。
昔,長津田と下長津田との境界を記すために大きな石が置かれていました。その石の位置をめぐって争いが絶えなかったそうです。
その境界になっていた大きな石がご神体としてまつられています。
祭神は,伊弉諾命(いざなぎのみこと)と速玉男之命(はやたまおのみこと)の二つで,大石神社と共に,長津田の守り神だといわれています。
階段の下には,横浜市が名木古木に指定した「モミ」の木が堂々と植えられています。
大正15年12月25日の大火で,全部焼けてしまいました。今の建物は。昭和30年6月に新しく建てられたものです。
長津田のまちは,大山道の宿場町として,また,横浜線長津田駅のあるまちとして,古くから開けてきました。
駅入口の交差点も平成13年に信号が付けられ,駅からまっすぐに246号線や霧が丘方面に抜ける道がつくられました。
長津田宿の名残として,大山街道沿いにいくつか残っている。
宮ノ前から岡部谷戸へ抜ける道に沿った地域。家数は少なく,木々の緑や田畑が数多く残っている。
岡部谷戸から通う子どもたちは,バスを利用している。
学校の南側に位置する公団の団地。この団地内にある公園が放課後の子どもたちの憩いの場である。
昭和39年9月,昔からの大山道に沿って,新しく国道246号線が開通した。この道はたくさんの自動車が通れるように道幅を広くし,カーブを緩やかにしました。
東京や厚木,沼津(静岡県)方面へ行く大切な道路として利用されています。
最近では,ここ長津田地区は渋滞の名所となっています。
長津田駅からまっすぐに246号線を渡り,霧が丘方面に抜ける道路として,平成13年5月に開通しました。
「長津田」という地名の由来は,土地の様子か らではないかという説がありますが,1349年 の祖広寄進状に「武蔵国津田郷」という名前があり,長津田のこととされています。そして,1500年代には都筑郡長津田村として,はっきりと古い文書(もんじょ)に地名が残っています。