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学校をとりまく環境〜わがまち並木〜


 並木地区は、横浜市における土地再開発計画(いわゆる横浜の六大事業、その後この計画は基幹事業と名前を変えた)のひとつとして、企画・実施された「金沢地先埋め立て事業」で誕生した住宅地です。
 昭和40年の計画発表後、昭和42年から漁業交渉を行い、順次工事を進めました。昭和63年に埋め立ての竣工式が行われましたが、その後も整備が続けられました。「横浜新都市交通金沢シーサイドライン」の開通が平成元年、「八景島」が平成5年にオープン。並木という新しい町ができ、「八景島」というレジャー施設ができました。さらに「海の公園」の花火大会やどんど焼きなどの市民の行事が盛んに行われるようになりました。
 この「金沢地先埋め立て事業」の一番の目的は、市内に点在している中小企業の移転でした。当時、横浜では住宅地の中に小さな工場が点在しており、住宅環境をよくするためには、それらの工場の移転が必要だったのです。また、住宅建設については市がアーバンデザインを導入し、住宅建設事業者に対して大枠を決め、まちづくりを行いました。それが並木のまち並みなのです。最初から公共用地として、公園部分が計画されており、もとの海岸線を生かした公園、住宅地と工業団地間のグリーンベルト、「海の公園」等の緑地計画がされました。
 昭和46年着工ののち、1号地、2号地、3号地及び海の公園の総計660万平方メートルの用地が、その姿を現わしました。1号地は諸工事の進行が最も早く、その中の住宅、公共部分は並木一丁目と名付けられ、1街区から25街区までに区画されました。さらに埋立・開発は順調に進み、二丁目の住宅区画も整備されました。住宅居住者も順次転入し、「新しいまち・並木」が姿を現わしたのです。
 居住家庭の就学児童も増加し、「並木第一小学校」に次いで、昭和55年4月に「並木第二小学校」、翌昭和56年9月に「並木第三小学校」が相次いで新設され開校しました。並木第二・第三両小学校とも一時は在籍児童数1,000人を超える規模となりましたが、住民の年齢構成が高くなるにしたがい、昭和60年頃をピークに在籍児童数は減少の道を進んでいきました。
 そして、平成15年12月「横浜市立小中学校の規模及び配置の適正化並びに通学区域制度の見直しに関する基本方針」が発表され、これを受けて平成16年6月16日「並木地区小規模校再編検討委員会」が設置、翌17年6月まで両校の再編統合の検討を続け、同年9月の横浜市議会第三回定例会において条例改正がされ、新校「並木中央小学校」が平成18年4月に開校することとなったのです。
 海と山の二つの自然を併せ持ち、古いものでは鎌倉時代からの歴史を持つ名所・旧跡など歴史的、文化的遺産にも恵まれているこの金沢区で、横浜市初の「再編統合校」として新たな歴史を刻みはじめる「並木中央小学校」ですが、並木第二・第三両小学校の卒業生・保護者・関係の皆様、そして新校の保護者や周辺住民の皆様の理解と協力、熱意のもとで、子どもたちの健やかな成長が期待されています。







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