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| S20 | 浅間台小学校の生い立ち | ||
| 昭和22年ころ浅間町は宮谷小学校の学区域でした。ところが、岡野小学校が中学校になったので、岡野小学校の一部の子どもたちが宮谷小学校に通うようになりました。また、疎開先からもどってくる人たちや転校生で、昭和26年には二千百名になり、教室が足りずに半日交代で勉強する二部授業が行われました。このありさまをみた地域の人たちは、子どもたちの幸せのために、新しく小学校を建てようということになりました。 | ![]() 創立当時の校舎 |
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| 宮谷分校のころ | |||
| 地域の人たちの熱意と努力が実り、昭和27年4月、今の浅間台小学校の敷地がきまりました。地元の人たちは、苦しい生活の中からお金を出し合い、土地を買ったり施設を作ったりする費用にあてました。そして、昭和28年6月に緑色に塗られた木造二階建てのモダンな校舎が建てられ、7月15日に「宮谷小学校宮谷分校」が誕生しました。分校が開かれ、授業が始められたのは9月12日で、この日が開校記念日になりました。 |
![]() 創立当時の運動会 |
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| S30 | 浅間台小学校の独立 | ||
| 昭和30年4月には、第1校舎より一段低いところに第2校舎が作られました。そして、翌年の昭和31年4月1日に「横浜市立浅間台小学校」として、独立することになったのです。さっそく校章・校歌・校旗などが定められました。校歌にも校章にも月桂樹がつかわれていますが、月桂樹のかんむりはすぐれた人に与えられるもので、「浅間台小学校から、大ぜいのすぐれた人が育ってほしい」という願いがこめられているのです。 | ![]() 校章 |
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| 音楽にはげむ子どもたち | |||
| 開校した頃から、浅間台小学校では音楽教育が盛んでした。各学級で歌や器楽の練習が盛んに行われ昭和36年には、横浜市教育委員会の音楽教育指定校となり、大ぜいの先生方が見に来て研究発表会が開かれました。指定校となって努力した結果は、子どもたちの心に大きな自信とやる気を育てました。そして、その成果は昭和41年5月1日の鼓笛隊発足となってあらわれました。 |
![]() 鼓 笛 隊 の 練 習 |
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| S40 | 講堂と地下道の完成 | ||
| 講堂がなくて雨の日には体育ができませんでした。みんな早く講堂がほしいと願いましたが、この希望がかなえられたのは、昭和42年3月のことです。昭和43年1月には、校舎から講堂に通じるかわいらしい地下道ができました。地下道の壁には子どもたちが描いた壁画がつけられました。 |
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| 国語学習への取り組み | |||
| 昭和41年から45年ころにかけて、考える力を高める国語教育の研究が盛んとなりました。昭和43年8月には、全国から集まった先生方に、生き生きとした学習の姿を見ていただくことができましたし、45年5月には、6年生の国語の授業がNHK教育テレビで放映されたりしました。 |
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| 新しい通信票「さかみち」 | |||
| 先生たちは、子どもを数字で評価することに疑問をもちました。人間の力を数字で表すことはできることではないし、一人一人の子どもの可能性をもっと伸ばす方法はないかと考えたのです。こうして昭和46年9月に「学期始めに渡す通信票“さかみち”」が誕生しました。この「さかみち」はほかの子どもと比べるのではなく、一人ひとりの子どもがいかに伸びたかを表していくものです。 | |||
| 芋掘り・田植え・稲刈り | |||
芋掘りは昭和43年から始まりました。浅間町の新倉さんのご厚意で、毎年、綾瀬市の芋畑でサツマイモを取りました。昭和51年には学校で稲の学習をする場所がなかったので、5年生が同じ綾瀬市の田を貸してもらい稲を作りました。自分で田植えをし、刈り取ったお米で、年の暮れには学校中で餅つきをしました。
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![]() 田植え |
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| 横浜にほこる新校舎 | |||
| 昭和47・8年ごろには木造校舎はだいぶいたんできました。そこで、町の人たちが大ぜいの署名を集めて教育委員会や市議会へ何度も改築のお願いにいきました。そして、昭和51年3月改築が決定し、昭和52年12月20日、新校舎が完成しました。独立した廊下やホール、教室内の立派な設備など、その当時、横浜の学校の中でも他にないすばらしい校舎です。翌年、図工教室と音楽教室が完成、昭和54年には「にじの橋(歩道橋)」が設置され、校庭と校舎がつながりました。 | |||
| S50 | アスレチックと勤労生産学習 | ||
| 昭和58年度には、創立三十周年記念事業が行われました。アスレチックは、この事業で造られたものです。また、この年に取入祭、餅つき、ごった煮が始まりました。昭和58・59年は市の研究協力校、昭和59・60年度は、文部省の勤労生産学習研究推進校となりました。さらに、61・62年は神奈川県の「ふれあい教育実践校」となり、栽培活動を推進しました。この研究が浅間台小学校の特色として定着することになりました。 | ![]() ア ス レ チ ッ ク |
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| S60 | 体験の研究と学校給食 | ||
| H1 | 平成元年度には市の研究校となり、学級会活動の研究を進めました。翌年には、教育課題(体験)の研究協力校となりました。栽培活動を核とした研究で、400名を越える先生方が来校しました。平成3年度には、学校給食研究の取組が評価され、神奈川県学校給食優良校として表彰されました。 | ||
| 二学期制と三耕教育 | |||
| 10 | 平成15年度には学校二学期制が始まりました。これまでと違って前期の中に夏休みがあり、子どもや保護者には、戸惑いもありました。平成17年度、創立五十周年を期に、これまでの浅間台小学校の教育を見直し、それを発展させることになりました。これを浅間台ルネサンスといいます。そして、栽培活動を核にした新しい教育を三耕教育と名付け、浅間台小学校の一層の特色を出す教育を推進することにしました。 | ![]() 学校田での田おこし |
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| 学校評価の研究 | |||
| 平成18年度から文部科学省の「学校評価ガイドラインに基づく評価実践研究校」の指定を受け学校評価の研究を進めています。 | |||
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