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| 浅間神社と旧東海道 | |||
| 学区の北はずれ、浅間下交差点の近くに、浅間神社があります。承暦4年(1080年)富士浅間神社の分霊をまつったといわれる由緒ある神社です。この神社の下の道筋は、江戸時代、神奈川宿から保土ヶ谷宿へと通じる旧東海道です。昔は静かな入り江に白帆が浮かんで見えるとてもきれいなところでした。毎年6月はじめに行われる浅間神社の大祭の時には、この道筋に出店が並び、御輿(みこし)を担ぐ声が町に活気をもたらします。浅間神社を中心に、まちを支える人たちの結束力が培われてきたのです。 | ![]() 浅間神社祭礼 |
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| 浅間町あたり | |||
| 旧東海道に沿った現在の浅間町一帯は、江戸時代には芝生村(しぼうむら)と呼ばれていました。芝生村は人足や馬の休息場所(たてば)として栄え、農業のほかに、飯屋や酒、わらじの販売など、昔から商業も営まれていました。明治の初期、芝生村は横浜市に入っていませんでした。明治34年に市街地拡張が行われ、芝生村は横浜市の一部となることになりました。その時芝生村の人々は「芝生」という名前が「死亡」につながる、ときらい、浅間神社の名前をとって浅間町としました。浅間台小学校のグランドの裏手の階段を下りきった所は三叉路になっていてます。ここは追分と呼ばれ、東海道と甲州街道が交わる地点で、要所としてにぎわいをみせていました。浅間台のまちを支える人たちの温かい気質はこのような土壌の上につくられてきたのです。 | |||
| 洪福寺と松原商店街 | |||
| 学区の南、16号線と環状1号線が交わる所に洪福寺があります。洪福寺は嘉永13年(1636年)に呑海が開山したと伝えられる由緒あるお寺です。本尊の薬師如来は、鎌倉権五郎景政の守り本尊と伝えられ、目洗薬師といわれています。洪福寺もこの地域の人々の生活と強く結びついているお寺です。洪福寺の交差点の裏手に松原商店街があります。松原商店街は戦後まもなくできました。始めは「魚の大安売り」で横浜中に有名になった「魚幸」から始まりました。その後、八百屋さん、生地屋さん、しょう油屋さんなどが集まり、どの店も安売りで繁盛し、大きな商店街となりました。今でも活気に溢れる商店街として有名です。 |
松原商店街 |
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| 浅間台と鎌谷 | |||
| 鎌谷町は昭和15年に宮田町の一部から新設した町です。そのころは住む人も少なく、山と田と畑と谷あいは湿地になっていました。また、水道も通らず井戸を掘っていました。今でも井戸のある家が何軒かあります。戦後になって横浜駅に近いという利点もあり、人々が移り住んできました。昭和30年を過ぎたころから宅地が造成され、民家が次々と建てられるようになりました。浅間台は昭和11年に新設した町です。町名は浅間町の台地にあることから名付けられました。浅間台も鎌谷町と同じように新しく人々が移り住んできたまちです。二つの町とも、今では閑静な住宅地として落ち着いた佇まいになっています。鎌谷町には天王町にある橘樹神社の分社があります。毎年6月には盛大にお祭りが催されます。鎌谷も浅間台もまとまりがよく、浅間台小学校を温かく支えてくれています。 | ![]() 鎌谷の井戸 |
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