横浜市立浅間台小学校タイトルS
ジョイスタディタイトル
 

ジョイスタディとは

本校では「自分なりに考えること」「いろいろ考えてやってみること」「多様な考えをもつこと」が苦手な子どもが多くいます。また、一人ひとりの理解の状況に差が大きく、ある教科を得意とする子どもがいる一方、苦手意識をもっている子どももいます。このような子どもたちが苦手意識をもったまま学習を続けていても、苦痛なだけで、楽しさを実感することができません。子どもたちが、「楽しいな」とか「あんな見方もあるんだ」「あんな考え方もあるんだ」「私はこうやってみよう」などと思える時間をつくることができれば、知らず知らずのうちに楽しくなるでしょう。また、もともとその教科が得意な子どもにとっても、この経験は意欲をますます高めることにつながるでしょう。ジョイスタディは答えを出すことが目的ではありません。自分の言葉で説明したり、書いたり、表現したりすることで、考え方を楽しむことができ、また、友達の考えを聞きながら自分の考えを深めていく楽しさも生まれる。その中から自分で答えを導き出したなら、もっと楽しさが増える。このように学ぶことの楽しさをたくさん感じることができる場がジョイスタディなのです。 算数ジョイの授業のようす

「知耕の時間」とジョイスタディ

ジョイスタディは、今、目の前にいる子どものよさや課題をとらえ、目の前の子どもからスタートし、子どもたちの今の力を伸ばしていくための学習ですから、学習指導要領に基づいて、学年段階に応じた学習内容を構成するわけではありません。目の前の子どもたちの力を教師が見取り、それに応じた学習を構成します。そのため、その学年では取り扱わない学習内容や既習の学習内容をもとに創造することが多くなります。したがって、教育課程上の位置づけは、あくまでも余剰の時間を充てる特設の時間として位置づけることにしました。そして、この時間を「知耕の時間」としました。

ジョイスタディで育てたい力と評価

ジョイスタディでは、知識や技能の獲得は二の次です。育てたい力は、自分で課題を選び楽しめたかどうか、友達と学び合う楽しさを味わうことができたかどうか、いろいろ工夫することはすばらしいことだと感じたかどうかということです。つまり「楽しむ」「味わう」「感じる」ということを大切にしたいと考えています。

算数ジョイ(例)

「情報・消費社会と子ども」(横浜国立大学教育人間科学部 高橋勝教授 著 明治図書)
先日参加した「ジョイスタディ」では、3・4年生70名の子どもが、自分の選択で、幾何学模様を作るグループ、棒グラフを作るグループ、図形を作るグループ、箱作りグループに分かれて、算数の活動を行った。これから行う「収穫フェスティバル」で、地域の人たちを学校に招いた際に、展示する作品をつくるという目的で、子どもたちは算数の活動に取り組んだ。ある4年生は、5角形12個からなるサッカーボールをつくろうと、方眼紙に何度も失敗しながら展開図を描き、みんなの協力も得て、時間まぎわにボール紙の見事なサッカーボールを作り上げた。ある3年生は、方眼紙の厚紙に直方体の展開図7面(?)を描き、それをはさみで切り取り、箱型に組み立てようとしたが、1面多いことに気付いた。・・・・・・・・・・・・ここで、子どもは単なる工作ではなく、幾何学の法則に則った活動を、無言のうちに強いられている。好き勝手な箱を作ることはできない。直方体を作るには、その性質をしっかりと理解しながら作図し、つねに先を見通した作業をしなければならない。そうした法則的制約をしっかりと受け止めながらも、子どもたちの活動は、とても楽しそうだった。驚くことに、どのグループでも、手を抜いて適当に箱や図形、棒グラフを作っている子どもはひとりもいなかった。なぜ楽しいのか。そこには、それぞれが自分のイマジネーションを膨らまして作業に取り組み、チャレンジや失敗、試行錯誤を存分に味わえるという遊びがあるからである。7つの面の直方体を作ったり、すき間だらけの立方体を作ったりする無秩序で混沌としたカオスの世界を思う存分体験できたからではないかと私は思う。算数という最も秩序だった思考を要求される教科においても、それに至るプロセスは混沌としており、子どもはそのカオスを体験することができた。今回の「ジョイスタディ」は、まさに図形やグラフを楽しみながら作る活動であった。いかなる力が身についたか、と問われれば、算数的に思考する力とその面白さをミックスさせた学欲(学ぶ意欲)が喚起されたと考えてもさしつかえない。

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