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昭和6年の夏休みに,高等科の児童が,学芸会のときに父母に配る浦島太郎の土人形を作っていました。亀の子すべり台を作る計画を思いついたのはこの時でした。2学期がはじまってから授業のあとで,大きな亀の子すべり台を作ろうと土台作りが始まりました。上級生は,すべり台の土台を作り,下級生は,裏の浦島台からもっこで土を運びました。夏は汗まみれになって,秋は大雨で土が流されてしまったことにもくじけず,冬は冷たい北風やはりのような霜柱にも負けずに,がんばりました。こうして,土でだいたいの形ができあがってから,コンクリートでかためました。その間,子どもたちは,セメントや手すりの鉄材を買う費用にと少しずつ自分たちのお小遣いをためていました。
昭和7年11月,コンクリートが十分かわき,囲いの板を取り外し1年3ヶ月かけて完成しました。
大きくて立派な亀の子すべり台のコンクリート仕上げは,職人さんにたのみましたが,土台の土盛りはすべて何百人もの子どもたちの手で作りあげられました。
子どもたちは,たいへん喜び後から後から続いて初すべりを楽しみました。このことから,喜びと同時に,汗を流して働くことの尊さも体験したのでした。
亀の子すべり台のことは,雑誌「少年クラブ」で紹介され全国的に有名になりました。 |