2 潮田小学校の歴史
明治
6年(1873) 6 第1大学区神奈川県管内第7中学区橘樹郡潮田村第132番潮田学舎として創立する。
8年(1875) 6 第1大学区神奈川県管内第7中学区橘樹郡潮田村第132番潮田学校と改称する。
23年(1890) 4 橘樹郡潮田村立尋常潮田小学校と改称する。
24年(1891) 校舎を改築。板葺きの屋根を瓦葺きにする。
41年(1908) 3 校舎の大修理を行う。
45年(1912) 4 潮田小と矢向小が町田小学校(今の市場小学校)といっしょになる。そのため,本校
は橘樹郡町田村立尋常高等町田小学校潮田分教場となる。
大正
8年(1919) 5.15 現在地に校舎を新築し,橘樹郡町田村立尋常第二町田小学校として復活開校する。
9年(1920) 5 高等科が設置され,橘樹郡町田村立尋常第二町田小学校となる。
12年(1923) 4 潮田町が誕生し,橘樹郡潮田町立潮田尋常高等小学校となる。
14年(1925) 4 潮田町と鶴見町がいっしょになるので,学校の名前が橘樹郡鶴見町立潮田尋常高等小
学校となる。
昭和
2年(1927) 4 鶴見町と横浜市がいっしょになったので,学校の名前が横浜市潮田尋常高等小学校と
なる。
10年(1935)11 鶴見高等小学校ができたため,約200人の児童がうつり,学校の名前が横浜市潮田
尋常小学校となる。
16年(1941) 4 国民学校令ができ,学校の名前が横浜市潮田国民学校となる。
18年(1943)10 児童数が非常に増えたので,横浜市東潮田国民学校ができ,1300名がうつる。
これまでの潮田校は横浜市西潮田国民学校となる。
19年(1944) 8 戦争が激しくなり,全市的に学童疎開が始まる。
東潮田校は,足柄上郡金田村に250名の児童が集団疎開する。
(そのほか縁故疎開650名,残留450名)
西潮田校は,足柄上郡清水村に208名の児童が集団疎開する。
(そのほか縁故疎開640名,残留440名)
20年(1945) 4.15 空襲によって西潮田校・東潮田校の両校を初め児童の家庭もほとんど焼失。その後は,
下野谷校にて授業する。
10 西潮田校(児童50名・職員8名)・東潮田校(児童75名・職員10名)の集団疎開
の引き上げが終わる。
21年(1946) 2 東潮田校と西潮田校が一緒の学校になり,名前を西潮田国民学校とした。
21年(1946) 4 西潮田国民学校は,横浜市潮田国民学校となる。
22年(1947) 4 潮田国民学校から,横浜市立潮田小学校となる。
11 新しい校舎5教室(第1期工事)の建設ができる。
潮田小学校愛育会(PTA)ができる。
28年(1953) 2 第6期工事が終わる。
11 開校記念式典(創立80周年)を行い,校歌を制定する。
35年(1960) 9 鉄筋給食室ができる。
37年(1962) 7 潮新山ならびに校庭の諸施設ができる。
38年(1963) 7 鉄筋3階建校舎(6教室)ができる。
39年(1964) 6 プールができる。
41年(1966)12 体育館兼講堂ができる。
47年(1972) 4 校舎改築工事を着工する。
48年(1973) 4 鉄筋3階建校舎(5教室)ができる。
62年(1987)12. 1 徳育推進実践研究大会を開く。
平成
4年(1992) 9.12 学校五日制実施に伴う休業日開始。
7年(1995) 2.10 横浜市人権教育実践推進校として研究発表する。
10年(1998) 3 給食室完成
4. 1 横浜市人権教育センター校に委嘱される。
2. 6 体育館落成式
12 視聴覚室新設
12年(2000) 3.31 校庭改修整備完成
6.11 はまっ子ふれあいスクールが開設される。
14年(2002) 4 学校五日制実施
15年(2003)11.15 創立130周年記念式典・祝賀会を行う。
18年(2006)11.18 普通教室にインターネットが敷設される。
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