学校紹介 School Introduction

Y校の歴史・校歌

Y校の歴史

明治14(1881)年 横浜貿易商組合により、横浜商法学校設立が立案され、翌15年、授業開始。
明治21(1888)年 横浜商業学校と改称。
明治38(1905)年 南太田の現在地に校舎が落成し、これに移転。
昭和23(1948)年 横浜市立横浜商業高等学校と改称。
平成15(2003)年 国際学科開設。
平成24(2012)年 創立130周年。
平成26(2014)年 スポーツマネジメント科開設。

校歌

作詞:森 林太郎 (鷗外) 作曲:小松 耕輔

1番

栄行さかゆ御代みよ民草たみぐさ我等われら
事業ことわざこそは種々しなじなかはれ
かはらぬものはこころまこと
誠を守る商人あきびと我等われら
いでや見ませあさゆう
たゆまずともに いそしむ我等われら

2番

きほひのにはの ますらを我等われら
いのちのかぎり人には負けじ
忘れむ家ををしまじ身をも
力を頼む商人あきびと我等われら
いでや見ませあさゆう
たゆまずともたたか我等われら

1916年(大正5年)制定

校歌(WMA)

校歌(MP3)

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作詞した森 鷗外(本名:林太郎)について

1862年(文久2年)2月17日 - 1922年(大正11年)7月9日

明治-大正期の夏目漱石と並び称せられる小説家。

ただし、小説家はあくまでも副業で、本業は軍医(軍医の最高位である陸軍軍医総監まで務めた)。

処女作の『舞姫』をはじめ『雁』『山椒大夫』『高瀬舟』など多数ある。 また、『即興詩人』(アンデルセン作)『ファウスト』(ゲーテ作)などの翻訳でも有名。

Y校の校歌を作詞したと思われる1916年(大正5年)は、後に鷗外の最高傑作と評価される『澁江抽齋』の新聞連載を開始した年でもある。

ちなみに、妹の貴美子は、ショートショートで有名な作家、星新一の祖母にあたり、鷗外の娘、森茉莉も作家となるなど、家系には文筆で名を成したものが多い。

作曲した小松 耕輔について

1884年(明治17年)12月14日 - 1966年(昭和41年)2月3日

明治-昭和期の作曲家,教育家,評論家。

『母』(作詞:竹久夢二),『芭蕉』(作詞:北原白秋)などを作曲し、本居長世(『赤い靴』など)や中山晋平(『波浮の港』など)と並んで童謡運動の先駆け。

日本最初のオペラ『羽衣』(明治39)を作曲した。その際,楽譜の序文を森鷗外に依頼し、源高湛(みなもとたかしづ)というペンネームで書いてもらっている。

また、Y校の校歌を作曲したと思われる1916年(大正5年)の翌年には、やはり森鷗外の『沙羅の木』を作曲している。

なお、彼の書いた『音楽の花ひらく頃 ― わが思い出の楽壇 ― 』(音楽之友社 1952)は, 明治から大正期の日本における西洋音楽事情を知る上での貴重な資料となっている。

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