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| 港南台第一中学校の紹介をいたします。 見たい項目名にマウスを合わせてクリックしてください。 |
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1.開校記念日 10月1日
2.設置状況
(1) 開校 昭和49年10月1日
(2) 設置状況
昭和41.3〜48.3 昭和38年頃より、日本経済は高度成長により、大都市に人口の集中
が始まり、隣接地の洋光台が宅地開発された。それに伴って当地も
日本住宅公団によって41年に計画され、44年9月より土地計画整理
事業により大規模な開発が行われた。48年頃より入居が始まり、生
徒は指定の港南中学校に通学しないで、近距離の磯子区の洋光台第
一中学校で学んだ。
昭和48. 3.23 昭和48年度小中学校校舎建設予定校(新増築)の説明(市教委)
昭和48. 4.13 昭和48年度第一次建設計画校打合せ会(市教委)
昭和48. 7.17 昭和48年度小中学校建設事業による新設校の打合せ会(市教委)
昭和48. 9. 4 校舎建設着工式
昭和48.11.21 港南台第一方面校設置に関する資料、市教委より受領
昭和48.11.26 港南台第一方面校の設立準備について校内で検討
昭和48.12. 4 同校設立準備についてPTA実行委で検討
(開校予定日 49年6月1日 めじろ団地入居 5月)
昭和49.1〜49.3 同校の生徒数・学級数・教職員内定(開校予定日 昭和49年9月1日)
昭和49. 4.26 同校新設に関する校名案・学区域案・生徒収容計画等の意見書の提出
昭和49. 5 公団(めじろ)入居9月28日との連絡(市教委)
昭和49. 5.24 同校の管理について要請書提出
昭和49. 5.27 同校竣工検査に立合う
昭和49. 5.30 港南台第一中学校(仮称)の校舎引継ぐ
昭和49. 6 洋光台第一中学校との諸連絡
昭和49. 7.15 港南台第一中学校(仮称)開設準備委員会(第一回)、全般につい
ての話し合い
昭和49. 8. 9 第二回開設準備委員会で開校式・祝賀会についての話し合い
昭和49. 8.28 第三回開設準備委員会で具体案について検討
昭和49. 9.13 第四回開設準備委員会で開校式当日の役割分担を決める。
昭和49. 9.25 拡大開設準備委員会で開校式の最後の確認を行う。
昭和49.10. 1 港南台第一中学校の内庭を式場に開校式典を挙行
「当地域の発展に即応し、横浜市港南区日野町3259番の3に、横浜
市立港南台第一中学校を開設します。充実した教育が行われ、優秀
な中学校に成育されることを期待し、ここに開校を宣言します。」
昭和49年10月1日 横浜市教育委員会
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| 作詞:すみ さちこ 作曲:宮川 晶 |
1. | 杉かおる円海山に さわやかな朝が明ける 友よ聴くか あたらしい年の始めを よろこび響らす船の汽笛 はるかな未来 輝いてきみを待つ 目をあげてはばたいてゆこう 港南台第一中学校 |
| 2. | 枝しげくさえずる小鳥 時はいまはじける芽吹き 友よ見たか ひろがる港南の海に ゆきかう船の白い航跡 雲はたなびき ほがらかに風はうたう 耳すまし大地をゆこう 港南台第一中学校 |
![]() 港南台第一中学校 校章 作成 昭和52年3月10日 |
本校のシンボルとして校章の必要性が起り、校章検討委員会を中心として、昭和49年12月、生徒・職員ならびに付近住民(含む生徒の父母)に一般公募した結果、2年1組の熊井正嗣の作品と、一般公募の高部三喜重氏の作品を、初代校長
沼田幸夫氏の長男沼田博美氏(東京芸大美術学部工芸科出身)が勘案調整して図案を作成し、制定のはこびとなった。 七宝焼 外側は学年色(赤・紺・緑)、内側の鳥は白鳥、白鳥の真中に学年色で一中の文字。 単純で美しく、本校所在地が昔、鳥の生息地であったことから、本校で学んだ生徒が白鳥の如く、雄々しくはばたくことを願って制定した。 |
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| 住所 横浜市港南区港南台6丁目6番1号 電話番号 045(832)0020 FAX 045(835)2096 |