Okazu Junior High School
横浜市立岡津中学校
*岡津のルーツ
地域情報
「岡津」の地名が、古文書にはっきり登場するのは、今から700年以上も昔のこと。鎌倉の鶴岡八幡宮や永福寺に所蔵されている文永七年(1270)の文書の中に、その地名が見えます。
*戦国時代は太田大膳亮が支配
時代は下って戦国時代。関東では小田原城を本拠とした北条氏が勢力を伸ばし、天文十二年(1543)頃には、その家臣の太田大膳亮が岡津を知行(所領を預かり、支配すること)していました。ところが、北条氏は天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めにあって落城、降伏。北条氏の領地は、小田原攻めの功によって徳川家康に与えられました。
江戸城に入った家康は、彦坂小刑部元正を代官頭として、鎌倉郡・高座郡幕府直轄領(天領)を支配させました。代官頭とは時代劇などでおなじみの代官を支配する役職で、彦坂は岡津に屋敷を構えていました。岡津村字鷹匠町にあったという屋敷は“岡津陣屋”と呼ばれ、敷地は三嶋神社や岡津小・中学校の一帯を中心に東西約130メートル、南北約百120メートルにおよび、実に広大なものだったそうです。また、彦坂小刑部元正は東海道五十三次(江戸時代、江戸日本橋から京都三条大橋に至る間に設けられた五十三次の宿駅)の一つ、「戸塚宿」の設置に尽力したことでも知られています。その後幕府直轄領の岡津村を支配したのが旗本の黒田信濃守直綱です。直綱は二十五歳で若死にしますが、その後も代々黒田家によって岡津は支配されてきました。
*彦坂小刑部元正と岡津陣屋
(引用:創立50周年記念誌)
*明治時代、五か村合併で「鎌倉郡中川村」に
明治に入ると、岡津村は神奈川県の管轄となり、同二十二年四月には市町村制の施行により、近隣の阿久和、上矢部、名瀬、秋葉の四か村と合併。新たに鎌倉郡中川村となりました。この村名は村の中央を阿久和川が流れていることに由来しているそうです。中川村の初代村長は門倉庄兵衛という人で、合併の翌年には阿久和給田町(現、新橋町)に新しい村役場が完成。しかし、大正十二年の関東大震災で倒壊。それを機に、石川兼三郎氏が提供した岡津の埋没地に新築移転しました。
*昔は稲作や養蚕が盛んな純農村
中川村の主要産業と言えば、米や麦、養蚕などの農業ですが、明治三十年から四十年代にかけては、村内にたくさんの製紙場ができ、製紙業も盛んでした。しかし、やがてすたれ、大正時代に入ると製紙場はほとんど廃業してしまったそうです。また、当時は道路事情が極めて悪く、戸塚の柏尾から岡津方面へ向かう道は阿久和沿いの大山道だけ。この道は曲がりくねって不便なため、真っ直ぐな道を通す計画が持ち上がり、大正十年に着工しました。これが現在の瀬谷・柏尾線で、同十五年に観音寺前まで、さらに昭和六年には阿久和まで完成しました。それより少し前の昭和三年、この道で乗り合いバスの運行が始まりました。バスは五人乗り程度の小型のもので、今のようにバス停はなく、手をあげれば、どこでも自由に乗り降りができたそうです。
鎌倉郡中川村は昭和十四年に横浜市に編入され、戸塚区岡津町になりました。さらに、戸塚区分区(昭和六十一年十一月、戸塚・泉・栄区に分割)に伴い、泉区岡津町となり、現在に至っています。
学校について
http//www.edu.city.yokohama.jp/sch/jhs/okazu/index.htm
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- 自らのよさを表現し、豊かに生きる
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