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| 富岡・並木 周辺案内 |
| 〜20周年記念誌「 鴎 」より |
| 富岡歴史散歩 |
| この富岡あたりは、奈良時代の昔から先人の営みがあった地ですが、歴史的には建久二年(1191年)源頼朝によって富岡の八幡宮が建立されたと古文書に見られます。富岡が広く世間に知られる様になったのは明治時代に入ってからで、東を海に三方を丘陵に囲まれた静かで美しい風土と穏やかな気候で、最高級の避暑避寒地として、名をとどろかせていました。伊藤博文、松方正義元首相の他にも多くの明治の元勲諸侯が別荘を設け、高官重臣も来訪し閣議も開かれたといわれています。孫文も上陸しヘボン博士も逗留し、長浜には野口英世が、大正に入り川合玉堂が、昭和には、直木三十五が移り住むなど、軍事施設が配置される昭和十年頃までの富岡は正しく文化人の憩いの地でした。 又、神社仏閣も古い歴史と伝統を継承し、現在も数多くの行事がとり行われています。 江戸初期の地頭として活用し、徳川家の重鎮であった、豊島刑部明重公は柴田錬三朗の「弧剣は折れず」で登場し、富岡トンネル近くの青砥山一帯は三島由紀夫の午後の曳舟」の舞台になった所です。 |
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| 01富岡八幡宮 |
| 建久二年(1191年)源頼朝が、当時の民屋鎮護のため、摂津国西宮神社の蛭子尊を勧請したものです。神社に伝わる古い縁起によると、旅の僧がとある一軒のあはら屋の門口に食物を乞うたところ、丁度六月十五日の祭礼の日で麦で醸した酒を差し上げました。旅僧は茅の葉ですくい飲みはじめました。「吾は八幡の神である。今日から吾を祭るべし、吾を信ずるものには必ず厄を除け、幸福を与えるであろう。」と言って姿を消したそうです。 毎年七月十五日(現在は日曜日) に、夏の大祭が行われ、茅で作った祇園船に御弊を立て、麦だんごのお供え、麦で醸したお神酒を捧げて海に流す「祇園舟流し」の神事が行われます。波除八幡と崇められるようになったのは、応長元年(1311)大津波があった時、隣村の長浜は波に飲み込まれてしまったが、富岡は八幡様の御加護により難を免れたことによります。 |
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| 02帝国憲法揺籃の地・日本国憲法起草の地 |
| 伊藤博文仮寓の宅では、不平等条約の改定問題や自由民権運動に関する案件、明治憲法作成作業が、また、昭和に入って戦後の新しい憲法の制定に際しても金森徳次郎が長に就き、この富岡の地(現こすもす幼稚園のある所)で草案起草が仕上げられたといわれています。 |
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| 03長昌寺 |
| 小田原北条氏の家臣、柳下豊後守の菩提寺。本堂裏の観音堂に 「芋神様」と呼ばれ親しまれている楊柳観音がまつられています。昔、天然痘は痘瘡とかイモと呼ばれて、大変恐れられていましたが、お参りをし池の湧き水をいただくと治るということで、江戸時代には参詣人も多く、屋台や見せ物小屋がひしめいたと伝えられます。 芋は、里いものことで一皮むくときれいになることから、その名がついたとも。又、境内に直木三十五の墓があります。 |
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| 04十二天の鼻 |
| 宮の前と東浜を区切る小さな岬は十二天の鼻と呼ばれ、往時は十二神将の祠が祭られていました。埋めたてられるまで見事な石崖が小さな岬を波から守っていて、釣場としても良い場所でした。 |
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| 05持明院 |
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| 応長年間、現在の長浜附近の海辺の漁村にあったが、応長の大津波に流され、富岡の現在地へ移ったと伝えられています。その後、明治6年6月には、富岡学舎と称し、寺内で村民の子弟わずか数人を集めて勉強させたのが現在の富岡小学校の基となりました。 |
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| 06慶珊寺・孫文上陸の記念碑 |
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| 寛永元年(1624年)豊島刑部小補明重により父母の菩提の供養のため創建されました。本尊は、大日如来、寺宝、十一面観音半伽像(重文指定)。昭和20年の空襲の犠牲者の慰霊塔、孫文の記念碑があります。明治の初め、ローマ字で有名なヘボン博士が滞留し、付近の住民に、保健のため塩湯治を奨励したということです。海水浴の元祖は富岡の人たちだったようです。 |
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| 07富岡駅ガード |
| 1945年(昭和20年)六月十日の空襲の際、折り悪しく停車していた上下二列車の乗客は駅前のガードに避難して、この直撃を受けて大きな被害を受けました。このの事は忘れることのできない事実であり、永劫に戦争をしてはならないことの証でもあります。 |
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| 08松方正義別荘跡 | 鹿児島出身、国家財政に参画し基礎確立。 |
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| 09大鳥圭介別荘跡 | 兵庫出身、幕末から明治の政治家。 |
| 010井上馨別荘跡 | 山口出身、明治維新の功臣。 |
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| 011シーサイドライン&高速道路 |
| 金沢シーサイドライン (新杉田−金沢八景) この地区に働く人々、住む人々の通勤・通学の足に、ペイサイドマリーナや八景島シーパラダイスの行楽地を訪れる家族連れや市立大学病院や南税務署等の公共施設を訪れる人々にも利用され、市民の足とも呼べる新しい交通機関として登場。現在、一日約五万人の人達が利用しています。 湾岸高速道路一部開通 1999年七月、かねてより高架工事が続いていましたが、並木ー新杉田間が開通しました。 |
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| 012並木地区センター |
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| 地域の幼児からお年苛りまで幅広く集い、グループ・サークル活動や各種スポーツ、レクリエーションなどの自主的な活動を行い、相互交流を通して地域コミュニティの形成を促進することを目的としています。 |
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| 013横浜ベイサイドマリーナ |
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| 鳥浜の約三万二千uのエリアをもつ。現在約千隻のヨットが係留され、将来は二千隻が収容可能となり、東洋一の規模となるヨットハーバーを中心に”アメリカの東海岸の古い良き港町“をイメージして作られたレストラン街に続き、国内最大級のアウトレットモールがオープンしました。 |
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