交流で育み、育まれ

中学部1年 Mさんの母

「なーにーこれ?」「さわってもいーい?」、居住地校交流(現副学籍による交流)初日のできごとです。

娘の鼻から出ている栄養チューブにみーんな興味津々。「Mちゃんねー、お口から食べられないし飲めないから、このチューブが胃まで入っていて、栄養や水分をとるのよー」「ふーん、わぁーっ、やわらかーい!」

プール以外の授業は眠っていることの多い娘も、この日ばかりは目をクリクリさせて、眠るどころか目が開きっぱなしでした。

 娘は秋田生まれの秋田育ち、両親は共に横浜生まれの横浜育ち、父親の転勤で神戸から秋田に転居した平成6年(1994年)11月に生まれました。前年が冷夏で米不足となり、タイ米が出回った年、翌平成6年は猛暑、年が明けて平成7年1月日にあの阪神・淡路大震災が発生。

 結婚11年目にしてようやく授かった我が家の宝物です。運命というものは逆らえないこととはいえ、皮肉なものです。あのまま神戸にとどまっていれば被災していたでしょうし、秋田に移って病院も変わり、出産トラブルが起きてしまいました。もう逆戻りはできないことで、現実を受け止めるしかありませんでした。それより何より、生き抜いて私を母にしてくれた娘に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 義母が一人暮らしになったこともあり、就学の1年前(平成12年)に私と娘だけが横浜に戻りました(嫁VS姑バトル勃発!)が、環境が変わったこともあり体調を崩して、付き添いを条件に週2日通園を認められた南部地域療育センターへもほとんど通えず、入院が多い年でした。

 秋田にいた頃は、出かければ誰かしら声をかけてくれたり、娘を連れて遊びに行ったり、来てくれる友だちがいましたが、また一から出直しです。ですから、居住地校交流のお話をいただいたときは、すぐさま飛びついてしまいました。

 あれからもう6年、娘はもう中学1年になりました。振り返って連絡帳や写真を見ていると、体調が絶好調だった3年生の時は8回も出かけていて、楽しかった懐かしい思い出が甦ってきました。この年、私が入院したため、これを境に付き添えないことが多くなりましたが、国際理解教室に初めて参加したり、この頃から音楽以外の授業にもご一緒させていただき、教科を選ばない交流がかえって交流の原点でもある「共に『育ち』」「共に『学ぶ』」を肌で感じることができたような気がします。

 低体温の娘は、冬ともなると教室の中でもコートを脱げず毛布にくるまり参加しましたが、そんな娘のためにクラスのお友だちは「暑い」と言いながらも、教室を暖めておいてくれました。また、運動会の招待状を近所のお友だちが持って来てくれたり、体調を崩し交流当日に行けなかった時も、クラスのみんなが書いてくれた励ましの手紙を届けてくれたり、4年生の時には、わざわざ「きて みて ふれて なかむらようご」に担任の先生をはじめ、お友だち、お母様方まで遠路足を運んで下さり、学校を離れた実生活にも交流の輪が広がり、何も話すことができなくても、しっかりコミュニケーションがとれていることを実感しました。

 副学籍による交流教育は、特別支援学校の児童生徒が副学籍校(居住地の小・中学校)に出向いて行くわけですから、親としてはつい副学籍校に授業変更など迷惑がかかるのでは?と気掛かりになるものですが、今になってみれば、受け入れる副学籍校の子どもたちにとっても、障がい児とふれ合う機会を持つことで「心のバリアフリー」が育まれたにちがいありません。

 3年生の時、こんなことがありました。いつ行っても、娘のそばにピターッとついてくれる女の子が3人いました。その中の一人A子さんが「Mちゃんのお母さんっていくつ?」「早〜くに結婚したの?できちゃった婚?」な〜んて、とんでもないことを聞いてきました。「いくつだと思う?」と言うと、「28歳!」これまた40過ぎのオバハンにまぁ〜なんて気のきいたお答えと感心していたら、「だって早く結婚するとヘンな子が生まれるんでしょ?」・・・「でもMちゃんのこと好きだよ。となりに座ってネ」

 最後のことばに救われましたが、これはA子さんのことばではなく、大人が発したことばをそのまま言っているとしか思えません。過ちを起こしてほしくないがために、このたとえはいただけません。障がい児・者はなにも好き好んでそうなったわけではありません。早く結婚することと、ヘンな子(障がい児?)は決して否定されるべきではありません。何がいけないことなのかをキチッと伝えてほしいものです。障がい児・者に対する理解を深めていただくためにも、交流の機会は早ければ早いほど望ましいことを痛感しました。

 A子さんはその後気づいてくれたでしょうか?自分のことばでしっかりと答えてくれるでしょうか?中村特別支援学校には、それはそれは様々ないきさつで障がいを負いながらも、生き生き、のびのびと『学ぶ』子どもたちがいます。副学籍校が遠方のケースが多いのが現状ですが、叶うことであれば、担任の先生が特別支援学校を訪問され、日頃どのような環境で指導・支援をうけているのかを見届けていただけたら交流がもっと実りあるものになるような気がいたします。