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出会いから学ぶ
高等部3年 Sさんの母
【人権との出会い】
いつまでも続くような気がしていた養護学校での生活も、春の訪れと共に終わろうとしています。
思えば、この中村養護での12年間は、息子自身の学びの場、成長の機会だったと共に、母である私自身にとっても、特に後半の6年間は三男坊の育児がひと段落した事もあって、学びのきっかけや時間を貰い、成長させて頂いた学校生活でした。
何を学ぶ事ができたか、というのは数え切れないほどになりますが、一言でまとめれば「出会い」そして「人権とは」につながる事がとても多かったと思います。
「人権の尊重」は、確かに憲法でも謳われている事ではあるものの、それが声高に言われるようになって来たのは、ここ数年のことなのではないかな、と思います。(もしかすると、私が以前はただの無知・無関心だった為とか、家事・育児に大忙しで世の中の事を感じる余裕が無かっただけかもしれませんが…)
今でこそ「人権」という言葉をそこここで見かけ、少々オマセさんならば小学生でも使うようになっていますが、私は、果たして本当に「人権」の意味を実感している人はどのくらいいるだろうか?とちょっぴり意地悪な危惧を抱いてしまいます。
と言うのは、私自身がいろいろな事を経験したり学んだりしながら、人権の事を意識し実感するようになったのは、息子が重い障害を負って私の元にやって来てからなのです。もし息子が障害を負っていなかったら、私は福祉や人権に関する事にほとんど興味を抱かないような、高飛車な教育ママになっていたのではないかな、と思われるのです。
私は、こう申すのも何ですが、小・中学時代は、片田舎だったせいもあって優等生の部類でした。児童会や生徒会の役員を毎年のように務め、「一円募金」「あいさつ運動」「ちょっと奉仕活動」「老人ホーム慰問」などの行事を提案し、実行しました。業績は地域や先生方から評価されましたし、やり遂げた達成感でいっぱいでした。でも今思えば、福祉の何たるかをちっともわかっておらず、自己満足だけだったな、と反省しきりです。
これには時代背景が一因にあり、私が育つ過程でも、小・中学校時代には特殊学級はなく、何らかの障害がある子はかなり早い時期から施設に入れられたようでした。近所に脳性まひの女性が住んでいたようでしたが、まるで「座敷牢」のようにほとんどを家の中だけで過ごしていたようで、たった一度見かけただけでした。今思えば申し訳ない気持ちになるのですが、みんなでその女性の事を隠しているような古くさい地域でした。ノーマライゼーションもバリアフリーもかけらも無い時代で、障害のある人と接した事は皆無といった状況だったのです。
また、長じてからは中学の英語科の教員免許も取得しましたので、「教育心理」「青少年心理」他、“立派な先生”になれるような勉強も(なりませんでしたが…)一応したのです。けれども、当時は障害のある子どもの教育については「特殊」「特別」扱いで、今のようには教科や実習する機会はありませんでした。かと言って、自分から進んで勉強しようという意気込みはなく、同級生達も同様だったので、そのことに疑問すら抱いていませんでした。全くもってナサケナイ話です。
そんな訳で、息子の障害を知らされた時には、大変なショックを受け、出産の経過と処置、判断の失敗を怨みました。また、息子自身の人生を思い、生涯を案じながら育てるうちに、私はいかに「障害」について無知だったかを思い知らされ、愕然としたものです。
ところで、人は、望むと望まざるとに関わらず、思いがけない「出会い」があります。この出会いというのは、誰か人物に直接出会うという事以外の“何か”との出会いも含んだものです。そしてこの「出会い」には良い出会いと悪い出会いがあるのではないか、と思います。
息子を出産する時に、患者よりも医師の立場、病院の立場を重視するような病院と出会ったしまった事は、我が家にとって最悪の出会いだったと言えるかもしれません。けれども、世間知らずの半人前の親達をその後に導く“重い障害を負った息子”との出会いは、偶然とは言え、この最悪の出会いがあったから、という訳になります。さらに、“障害の重い息子”がいるおかげで、それまで想像したこともなかった障害福祉の分野で働く方々、特殊教育に携わる教職員の方々とのたくさんの出会いが始まったのでした。
【出会いが人を変える】
昨年7月末の「関東甲越地区 肢体不自由養護学校PTA連合会 校長会 合同研究協議会 ♪心をつなぐ♪神奈川大会」の開催に、事務局のメンバーとして加わった事も、貴重な出会いがあったからこそと言えます。大会の準備や実施などに大変な思いもしましたが、それ以上にたくさんの人と出会い、たくさんの事を経験し、一生の宝になる思い出ができました。
このように良い出会いがたくさんあったからこそ、悪い出会いを跳ね返すバネにできた、とも思っており、心から感謝しています。一時期は本当に医師や病院を怨んだり嘆いたり、先の人生を悲観して自暴自棄になったり世間を羨んだりしていたのです。
私は、養護学校関係や福祉施設関係の方々などから「お母さん、本当にエライわ。よく頑張っているわね!」と褒められることがよくあり、自信になったり嬉しかったり、ちょっとへこたれていたけどまた勇気が湧いたり…という事がありました。でも、“仕事として”障害のある子どもに関することに就いておられる皆さん達の方が、ずっとずっと立派で、感謝と敬意でいっぱいなのです。
「出会いが人を変える」というのは本当にある事です。
そして、思うのは「私は良い出会いになりえているか?」という事です。私と出会った人たちが、嫌な出会いやきっかけになっていないだろうか…。もちろん、時や場合によって、また偶然や不可抗力で“悪いことに…”という状況にもなるかもしれませんが、自分自身の内面を磨く事で、私は良い出会いの一コマになりたいと思っています。
このような「出会い」について考えた時、人が何かを学ぶ時に大切な事があるな、と気付くようになりました。それは、「出会い」と「感受力」です。
この感受力というのは、私が勝手に作った言葉なのですが、つまりは「感じて受け止めることができる自分自身の状態」という事を言いたいのです。勉強したい事、勉強しなければいけない事があったとしても、とても忙しくて時間が無い、とか、疲れ過ぎて考える気力が無い、などの状況では学べないと思います。また、体は忙しくないけれど心配ごとがある、とか、時間はたっぷりあっても体の具合が悪い、というような時も、同様ではないでしょうか。気持ちや時間的な余裕が多少なりともできて、そういう時に「あー、勉強になるな、これは。」というものと出会うと、そこから学びが得られると思うのです。
この事は、息子や障害の重い子ども達にも言える事だと思います。
今は早期療育ができる療育センターがあり、その後にも養護学校があります。けれども、本人の体調が安定しないままの状態で過ごしていたのでは、周りからどんなに優しい働きかけをしていても、どんなに素晴らしい刺激を与えていても、本人には聞く余裕、感じる状況になくて苦痛かもしれません。呼吸が苦しくなく、どこにも痛みもない安定した状態でいられて初めて、周囲からの働きかけを“自分への働きかけ”として受け止められるように思います。そこが感受力の基本だと思うのです。
そういう意味では、重心の子ども達の養護学校では「医療的ケア」は「生理的行為」とも言えるのではないかな、と思います。中村養護では「生活行為」として早い時期から取り組んで下さり、そのおかげで息子は、医師達の予想を上回る良好さ、安定さで過ごして来る事ができました。まず呼吸を安定させるために必須の吸引、楽な姿勢の保持、お腹がすいては気持ちも集中できないけれど注入で水分と栄養補給、そして大きな発作を予防する“いつもの薬”の服用。どれも医事法上では「医療的ケア」でしょうが、この子たちにとっては生理的行為に他ならず、これがなくては「感受力」はできません。 未だ見ぬ後輩たちをも含めて、これから育っていくみんなに「感受力」を高める支援、いろいろな事が学べる「出会い」の機会をたくさんもたらしてあげたいと思います。新年度より名前が変わる「中村特別支援学校」はもとより、これから開校する「県立金沢養護学校」に、是非ともこのような心がけをお願いしたいと思っています。
【人権って、何?】
最後に「人権って、結局のところ、何?」という事について。
言葉での表現はいろいろ有ると思います。人によって多少感じ方も違うでしょうし、文才のある人ならきっと上手に表現できるでしょう。
私としては「自分の一番いとしい、大事な、何が何でも守ってやりたい!」と思う人に置き換えて考えてみたらわかるのではないかな、と思います。それは、人によっては子どもかもしれないし、恋人かもしれない。親という事もあるでしょうし、配偶者という人もいるでしょう。とにかく、自分にとって一番いとしい人が、何にもしていないのに“周りの人から無視されている”だとか“言葉が出なくなってしまったから、本人の意向や意思を聞き取らない”などの状況に置かれたら、どんな風に思うだろうか、と考えてみると、“何とかして傷つかないようにしてやりたい”、“本人が気持ちよく充実して過ごせるよう、意向を汲んでやって欲しい”“小さい幸せでも良いから順調な幸せな日々を過ごして欲しい”などと思うのではないでしょうか。
人は誰もがかけがえの無い一人の人で、誰もがだれかの“いとしい大事な人”なのだから、誰もが傷つけられたりしてはいけないんだ、と分かると思います。
世の中の、欲に目がくらんで悪い事をしたり、人を傷つけてまで自分の欲望を達成したりする人は、このような人生の大切な事を学ぶ機会がないまま過ごしてしまったのではないか、と気の毒に思います。
私達は、子どもが障害を負ってしまっている「気の毒な親」と見られることがありますが、決してそうではなくて、人生の大切な事を子どもから学ぶ事ができた幸運な親だと思います。だから、子ども達にあらためて「ありがとう!」を言いたい。そして皆の幸せを心から願っています。 |