わが子の12年を振り返って

                          高3 Sさんの母

 日一日と日差しに力強さが加わり、春の訪れを感じる頃となりました。

例年ならば暖かさを待ちわびてワクワクするのですが、春になれば私たち()()は養護学校を卒業しなければならず、今年ばかりは「まだ暖かくならないで!」「もう少し冷たい空気のままでいて!」と思いながら過ごす日々…。振り返ってみると、長いようで短いようで、やっぱり長かった12年間!いろいろな事がありました。ってな訳で、「12年間の思い出、ジャンル別Best3!」の発表、いってみよう〜!!

 第位  平成7年4月、中村養護に入学!…4歳前まで住んでいた東京では、重心の子の場合には、『就学猶予』といものを願い出て1年後に訪問学級で入学し、時々母がバッチリ付き添いのスクーリングで養護学校に行く、という学校生活だと言われていました。でも、横浜市では、体調が安定していれば母子分離でスクールバスを利用しての学校生活というシステム。嬉しさと感謝でいっぱいの入学でした!

  第位  平成7年7月に我が家の三男誕生!…母は“だんご三兄弟”の世話に目が回るような忙しさ!(本当に、何度も過労からのめまいが…)行事やPTA活動にも乳幼児2人を連れて参加。みんな一緒に学校で育ててもらったようなものです。

  第位  給食とスクールバス!これらも忘れられません!!…栄養士の先生、職員のみなさん、運転士さん、介助員さん、皆本当に子どもの事を大事に考えて下さいました。給食もバス乗車も生活の大事な潤いとなりました。

 第位  「自立支援法」への“あまりに急激な移行”。中村での学校生活では「怒」にあたる事はあまり思いつかず、「怒」は主に国や行政の仕組みについてばかりです。

  第位  我が中村養護を筆頭に、養護学校の過大規模化に対しての対応があまりに遅かった!と、市教委・県教委に対して一言。「喝!」(某番組の某親分風に〜!)

  第位  11年前、訪問看護やホームヘルパーを申請しようとしたところ“高齢者の家庭でも順番待ちの状態。しかも、障害の子どもに対応できる看護師・ヘルパーがいない“と、断られてしまいました。その後、介護保険制度や支援費制度など、制度の改革に伴って使える手段(社会資源)がだんだん増えてきました。そして今や自立支援法、今後はどうかな…!?

 第位  小学部に一緒に入学した仲間3人が早々と旅立ってしまった事!…入学式は男子3人女子2人の5人で迎えました。が、3年間で3人が逝ってしまい、命について、人生について、とても多くの事を学ばせてもらいました。「みんなの事、忘れないよー!!

  第位  同級生ばかりではなく、同じ中村養護で過ごした上級生・下級生でも先に召されていった事は、とても哀しくつらい事でした。つい数年前までは毎年3名ずつの訃報があったものです。昨夏の「関肢P♪心をつなぐ♪神奈川大会」の時に、M先生が「重心の子があまり亡くならない時代になった。」というお話をされていて、本当にそうだと実感しています。

  第位  「離任式」…哀しみとはチョット違うのですが。でも、中村養護に入学した時には本当にビックリしました。毎年、他ではありえないような涙なみだの離任式に感動です。送る側・送られる側の両方が、出会えた事やこれまでの日々に感謝し、これからの幸せを願う、暖かい涙の一大行事です。

 第位  修学旅行!…高等部・中学部・小学部、どの修学旅行も思い出深いです。いろいろな制約がある中、安全に、そして楽しく過ごせるようにという細かい配慮、念入りな準備があったことと思います。家族旅行では果たせないような意義のある旅行でした。

  同率位  交流!…小学部から中学部までは、お隣の中村小のみなさんとの交流と、居住地校での交流。それぞれにたくさんの思い出があります。特に居住地交流では、双方にとっての交流のシステムの模索という意義もあったと思います。さらに、高等部では先生方が開拓した協力校との交流。女子高生とのふれあいは貴重な体験になりました!感謝です!

  同率位  いろいろな人とのたくさんの出会い・ふれあい!…中村オリンピックを筆頭に、学校行事はモチロンの事、毎日の学校生活でも本当にたくさんの人に出会い、ふれあえました。教職員のみなさん、スクールバス関係者のみなさん、上級生や下級生の仲間たち。そして、その仲間たちのお母さんがた。地域のみなさん。関係機関のみなさん。それぞれの方たちから、また違う方向の人へのつながり・広がりまでも考えると、実は意外と大きな社会の中で過ごして来たんだな、と気付きます。だから、養護学校に入学するまでは“笑い発作”以外では笑顔になったことはなかったのですが、年々笑顔がいっぱい出るようになりました!楽しく充実した学校生活でした!!