視覚障害とは

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ノーマライゼーションとバリアフリー

障害者が、各種の社会活動を自由にできるような 平等な社会づくりをめざして

ノーマライゼーションとは

デンマークのバンク・ミケルセンは、知的障害者の処遇に関して「ノーマライゼーションの理念」を唱えました。北欧から世界へ広まった障害者福祉の最も重要な理念です。これは、障害者を特別視するのではなく、一般社会の中で普通の生活が送れるような条件を整えるべきであり、共に生きる社会こそノーマルであるという考え方です。

ノーマライゼーションの理念に沿い、障害のある人が地域社会の中で普通の生活をしようとするとき、これを困難にする様々な障壁が存在します。障害のない人を前提として造られた社会のシステムの中では、障害者は社会活動に大きなハンディキャップ(社会的不利)を負わざるを得ません。

私達はともすれば、これらのハンディキャップを障害者の側の問題として捉え、不屈の精神力と不断の努力で障害と闘ってきた人々を「ハンディを乗り越えて」とか「ハンディを克服して」と称賛してきました。しかし、障害者が人間らしく生きていくために大変な努力を必要とする社会が普通の社会であっていいのでしょうか。

障害とは

WHO(世界保健機関)は障害を、医学的レベルでの「機能障害」(Impairment)、機能障害の結果としての「能力低下」(Disability)、機能障害や能力低下の結果としてその個人に生じる「社会的不利」(Handicaps)と3つのレベルに区分しました。この区分に従って国連で決議された「障害者に関する世界行動計画」(1982年)では、ハンディキャップを「障害者と彼らを取り巻く環境との関係である。それは他の市民が利用できる社会の種々のシステムに関し、障害者の利用を妨げる文化的、物理的又は社会的障壁に障害者が遭遇した時に生じる。

このように、不利とは、他の人々と同等のレベルで社会生活に参加する機会が喪失または制約されることである。」とし、ハンディキャップを社会の側の問題として捉え、「完全参加と平等」という国際障害者年の目標を実現するためには、障害者個人に向けられたリハビリテーションの施策だけでは十分ではなく、社会的な環境条件を障害者を含めた全ての人々に利用できるものに変革すべきことを強調しています。

こうした、国際的な動向を踏まえ、1994年12月8日、我が国では初の「障害者白書」が刊行されました。これは、障害者基本法第9条に基づく「障害者のために講じた施策の概況に関する年次報告書」として国会に報告されたものです。

95年版は、副題を「バリアフリー社会を目指して」として、障害者が社会生活を送る上での各種障壁の除去のための福祉の街づくりや、バリアフリー化の変遷及びその取り組みをまとめました。

白書は、障害者が社会生活を送る上で、

  • 1.公共交通機関、建築物等における物理的な障壁。
  • 2.資格制限等による制度的な障壁。
  • 3.点字や手話サービスの欠如による文化・情報面の障壁。
  • 4.障害者を庇護されるべき存在として捉える等の意識上の障壁。

の4つの障壁があるとしています。

これらの障壁を除去し、特に「街づくり等を含む生活環境の改善や技術の進歩に応じた福祉機器の研究開発、普及を図ること等により、障害者が各種の社会活動を自由にできるような平等な社会づくりをめざす。」と明記したことは大変に大きな意味を持つものと考えます。

では、障害者を取り巻く4つの障壁とは、具体的にはどのようなものでしょうか。

4つの障壁とバリアフリー

(1)物理的な障壁

移動面での困難が最も端的に現れるのが、車いす利用者や杖使用者等の歩行困難者です。家を一歩出て、道路を歩こうとすれば、歩道の段差、路上の放置自転車や電柱等の障害物、横断歩道橋の階段、ガードレールで仕切られた狭い歩道などがバリア(障壁)となっています。

また、公共交通機関についても、乗降口に段差のある構造のバスや鉄道・地下鉄等の駅の狭い改札口、ホームまでの階段や段差の多い駅等は、車いす利用者の移動に当たって大きな障壁となっています。

さらに、ホテル、デパート、スポーツ施設等の建物での出入口の段差や回転ドア、車いすに座ったままでは届かない公衆電話や自動販売機、狭い公衆トイレなど私達の周りを見渡すと、いかに長年にわたり障害者への配慮という視点を欠いた物的環境の整備が進められたかがわかります。これらは障害者だけでなく、身体機能の低下した高齢者、ベビーカーを利用している母親、妊婦、心臓疾患の患者等にとっても移動の際の大きな障壁となっています。

物理的障壁の問題は、高齢者の老化や病気による機能低下に対応した住宅改造、身体障害者のADL(日常生活動作)向上のための居住空間の設計等、住宅分野で議論されはじめ、公共建築物・施設、公共交通機関、民間建築物、更には面としての街全体の在り方に広がっていきました。長年にわたって築かれた社会環境をつくり直していくのは時間も多大なコストもかかります。今後の街づくりや建物の建築に当たっては、設計段階で障害者や高齢者への配慮を行うことが必要です。

(2)制度的な障壁

制度的な障壁の具体例として取り上げられるのが、各種の資格制度、大学等の入試制度、就職・任用試験等です。各種の資格制度では、欠格事由が設けられており、障害のあることが欠格事由になっているものも少なくありません。その中には、少なくとも障害の状態によって資格を与えないこともできるという相対的欠格事由でよいものもあります。

また、点字による試験を実施できないとか、車いすで移動できる構造になっていない等障害者への対応ができないため、能力以前の段階で入学・就職の機会が与えられないケースもあります。さらに、知的障害者や痴呆性老人が禁治産宣告によって一切の権利能力を失うとか、視覚障害者が盲導犬と一緒ではレストラン、スーパーマーケット、車両等の施設には入れないといった事例も、広い意味での制度的な障壁であると言えます。

下肢障害者が改造自動車の登場で運転免許を取得できるようになったように、技術の進歩、環境の整備、障害に関する知見の蓄積等に応じ、制度上の一律的な扱いを見直し、可能な限り機会の均等化を進める必要があります。

(3)文化・情報面での障壁

情報障害者といわれるのが、視覚障害者と聴覚障害者です。視覚障害者は、全盲者と弱視者に、聴覚障害者は聾者と難聴者に分けてバリアを考える必要があります。また、成人になってからの中途失明者、中途難聴者の場合のバリアも分ける必要もあります。

私達は、五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)を持っていますが、情報のほとんどは視覚・聴覚・触覚から得ています。情報受容能力は視覚が最も大きく、聴覚、触覚の順になると言われています。視覚障害者(全盲)は、視覚による情報の欠如を聴覚と触覚で補っています。

通常のコミュニケーションは会話で足りますが、日常生活の中で一般の人が専ら視覚に頼っている時計の時刻や家電機器の操作、新聞、交差点の信号等の情報は、音声や点字の形で情報提供される機器やサービスが充実しなければ、安全で自立した普通の生活を送ることはできません。

また、弱視の人や視力の衰えた高齢者は、拡大鏡等を利用し残された視力の活用と聴覚で情報を得ます。新聞の文字ポイントを大きくする等は歓迎すべき方向であり、情報量の多い視覚情報を弱視の人も得られるよう鮮明で見やすい形での情報提供・環境設定が有効です。点字ブロックといわれる視覚障害者のための誘導・警告用床材は、日本人によって考案され広く普及し、交差点や駅のホームでの事故防止に貢献している画期的なものです。

この点字ブロックは、触覚情報であると同時にその色彩を目立つ黄色にして弱視者のための視覚情報の役割も果たしていますが、都市・建物の美観上から他の部分の床と同じような目立たない色にする事例も多くなり、この場合は視覚情報としての機能はなくなってしまいます。最近の情報システムの分野での急速な進歩は情報障害者に多くの恩恵をもたらしていますが、反面では液晶表示やタッチパネル式のATM(現金自動預け払い機)や電化製品が増大し、視覚障害者にとって新たなバリアになっています。聴覚障害者(聾)、特に周産期又は乳幼児期での聴覚障害の問題は思考やコミュニケーションの基本である言葉とその発声の習得に困難のある言語障害者とも言えます。

この面で教育の果たしてきた役割は極めて大きく、習得された言葉によるコミュニケーションや情報取得は口話、手話、文字等専ら視覚を通じて行われます。したがって、手話通訳や文字放送・字幕付き放送等のサービスの充実が必要となります。緊急時の警報・警告等は通常音によりますが、ホテルの部屋などのように閉鎖された場所に一人でいる場合には、光とか振動を利用した情報伝達方法の工夫が必要となります。

また、難聴者の場合は何よりも安価で性能のいい補聴器の開発が必要です。ファックス電話やパソコン通信の普及は聴覚障害者の情報面のバリアフリー化に寄与しており、将来に向けても期待されます。高齢化社会を迎え、生活習慣病等により高年齢になってからの中途失明、中途失聴、中途難聴も増加してくることは必然です。中途失明の場合、点字をマスターするのは相当困難になります。

同様に中途失聴者が口話や手話をマスターするのもかなり困難です。人生の中途での障害は精神的ショックも大きく、心のケアが、極めて重要であり、そのためにもコミュニケーションや情報伝達に特別の配慮が必要となります。知的に、或いは発達上の障害を持つ障害者も情報障害者になる場合があります。各種の表示やアナウンスでは、避難誘導のサイン等のように図形で示したり、分かりやすい言葉で表示したり伝達して欲しいものです。

(4)意識上の障壁

障害のある人が社会参加しようとしたときの最も大きな問題は、社会の中にある心の壁です。多くの障害者やその家族が、心ない言葉や視線、人間としての尊厳を傷つけるような扱いを経験し、社会に積極的に出ていくのをためらうことがあるのは容易に想像できます。個々人の障害者観、その総体としての社会の障害者観の変遷の過程はどのようなものでしょうか。

古くて初歩的ともいえるのが、「無知と無関心」による「偏見と差別」の障害者観です。このような障害者観の下では、障害者を社会にとって役に立たない、迷惑な存在とし、好奇、時には嫌悪の眼で見ることになります。

犯罪を精神障害者と短絡的に結びつける発想があったり、地域の中に障害者施設を建設しようとすると反対運動が起きたり、今日でもまだ偏見と差別の障害者観は拭い去られていません。

次の段階は、「かわいそう」「気の毒」という憐れみ、同情の障害者観です。障害者を庇護すべき存在と考え、優越的な立場から不幸な障害者のために何かをしてあげようとする姿勢です。障害者やその家族には決して心地よいものではありません。そして障害者が人間として当然の要求、権利を主張すると「障害者のくせに」という態度に変わりやすいのです。

この2つの障害者観は、障害者を障害のない人とは異なった特別の存在と見る点では共通しており、意識上の障壁そのものと言えます。今日、普通の考え方として定着しているのは、障害者は障害のない人と同じ欲求・権利を持つ人間であり、社会の中で共に生きていく仲間であるという「共生」の障害者観です。

街に慣れる、街が慣れる

1981年の国連の国際障害者年行動計画では、「障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別の集団と考えるべきではなく、その通常のニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」と表現しています。

1975年の「障害者の権利宣言」や「ノーマライゼーション」「インテグレーション」の理念は、共生の障害者観によるものです。「共生」の考えを更に一歩進めたものが、障害者自身や障害者に理解の深い人達の間で広まってきている「障害は個性」という障害者観です。

私達の中には、気の強い人もいれば弱い人もいる、記憶力のいい人もいれば忘れっぽい人もいる、歌の上手な人もいれば下手な人もいる。これはそれぞれの人の個性、持ち味であって、それで世の中の人を2つに分けたりはしません。同じように障害も各人が持っている個性の1つと捉えると、障害のある人とない人といった1つの尺度で世の中の人を二分する必要はなくなります。そうなれば、ことさらに社会への統合などと言わなくても、一緒に楽しんだり、喧嘩をしたり、困っているときは、お互いに助け合い、支え合う普通の人間関係を築ける社会になるであろうというものです。

障害者を特別視する障害者観を拭い去るためには、障害というものの正しい知識を普及する広報活動ももちろん大切ですが、社会のいろいろな場面に種々の障害のある人がいるのがあたり前という状況にする必要があります。

「街に慣れる、街が慣れる」という味わい深い標語があります。障害者はどんどん街に出て街に慣れる。そのことによって、街は、街に住む人々の意識も含め、障害者がいることを当然の前提とした社会になっていくという。「障害は個性」と捉えるようになるには、かなりの障壁を除去する必要があります。現在の状況では、「障害は個性」とするのは時期尚早なのかも知れません。

ノーマライゼーションとバリアフリー

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