特集2 専門性向上への取り組み  歩行研究部 実践報告 歩行指導のあり方と専門性 歩行研究部 岩屋 真澄 1 はじめに  「21世紀の特殊教育の在り方」について、中教審での審議が始まるのと時を前後し、本校でも校内組織の改編を検討し、2003年に試行的実施、本年(2004年度)より、本格実施に入っている。  今回の組織改編の目的は、センター的機能の充実にあった。職員一人一人が、視覚障害教育の専門家として、保護者・本人のニーズに応じられるようにしようとのねらいである。そのひとつとしてそれまであった「教科外研」を「専門研究」と改め、様々なニーズに対応できるよう専門的知識を身につけることを目標に研修・研究を深めてきている。その中から「歩行研究部」について2年間の実践を報告するとともに「歩行」についての私見を述べたい。  最初に視覚障害歩行について簡単に触れる。次に、専門研究「歩行」に関して、研修のねらいと内容について紹介する。最後に私が幼稚部で幼児の指導を行っている際に、気をつけていることについて触れたいと思う。それにより、「視覚障害の歩行指導」を少しでもイメージできればと思っている。 2.視覚障害歩行とは (1)視覚障害歩行とは「定位」と「移動」である。  「定位」とは、ある空間の中のどこに自分がいるのかを理解することであり、移動する際にどのルートを取ると安全で能率のよい歩行ができるかを考えることのできる力である。向かい合った人の左手と自分の左手が同じ「左」でも反対になることが理解できるか、前にあった教卓が、自分が右を向くと左に来ることを理解できる子、あまりよく知らない場所でも(自分の足で歩いた場所、遠足に行った建物の中など)行きに通ったところであれば、ある程度までは一人で帰ってくることができる子、そんな子どもであれば、定位の能力があると考えられる。  「移動」とは、安全な移動をするために必要な技術・情報収集の能力・手段をどれだけ持っているか、あるいは使いこなせているかである。技術として一般的なのは、手引き、白杖、盲導犬であろう。ともすれば、手をつないでさえいれば歩ける、杖さえ持たせれば歩けると誤解される向きがあるが、どんなに技術が高くても安全でないことがある。 (2)校内移動での子どもの様子から  校内どこでも伝い歩きなしで自由に歩ける子どもがいるとする。この子が歩けるのはなぜだろうか。二通りのことが考えられる。  一つは、校内の地図ができていて、定位の能力があり、情報収集能力も高い子である。情報の一つひとつをその場の環境に当てはめ、安全に歩くためのルート設定ができている子である。このような子どもは、右側通行というルールも理解できるし、右側の中で、より安全な場所はどこなのか考えることのできる子である。  他方は、音(直接音、間接音、反射音等)を含めた情報に対する反応が非常に高く、それに合わせて行動できるが、自分がどのように動いたのかうまく説明できない子である。情報に振り回され、その情報をどう使っているのか本人もよく分かっていない。このような子は、右側通行の校内を、左側通行していても気づかず、曲がっても何(自分なのか、環境=廊下なのか)が曲がったのか分からないことがある。このような子は、別のルートの設定が自分からはしにくい傾向がある。  伝い歩きをさせようとすると、スムーズにできる子と、手すりから離れたがる子がいる。スムーズにできる子は、環境に対するイメージがある。その中をどのように歩けばよいのか自信がなく、伝い歩きをすることにより、本人なりに環境の理解を促そうとしていると思われる。一方の手すりから離れたがる子どもは、壁からの圧迫感を含め、環境からの情報に不安を感じ、近寄ることができないのではないかと思われる。  共に、前者は考えて歩いている子どもたちで、後者は、情報を使って歩いている子どもたちである。  視覚障害歩行は、「定位」と「移動」の能力を統合して、「自分にとって安全」とは何かを理解し、そのために必要な情報収集をすることである。これらの力がどれだけ育っているかにより、「自力歩行」の方法や範囲が決まってくる。そして、それを見極める力が「歩行」指導に求められる専門性であると考えている。 (3)アイマスク体験を過信するなかれ  アイマスク体験をすると、場所により「音が違う」という人がいる。そして、「階段だから違うんだ」と理由付けをする。これは、「見えている人間」が「知っている環境」にその音を合わせているだけのことである。その人たちが、まったく知らないところにアイマスクで連れて行かれ、「音」の違いを聞き分けて、「環境を理解しなさい」といわれたらできるだろうか。簡単なことではない。  「自分にも音の違いが理解できたから、生徒は理解できるはずだ」と思って指導している人がいるかもしれない。しかし、これは間違いである。出発点が違っている。  子どもたちは「音」の違いを感じ取っているかもしれない。感じ取っていないかもしれない。私たち指導者はまず子どもの行動から、「音情報」をどのように感じ取っているのか理解しなければならない。その上で、その子の内面にある情報を、より使えるものにしなければならない。これは、「見えている人間が音情報を環境に当てはめる」こととはまったく別のことである。「聞こえているか聞こえていないか分からない音情報」に「環境」という意味づけをする。これが「指導」である。  アイマスク体験をなぜするのか。子どもの行動を理解するために体験するのである。アイマスク体験したときに自分がどのような行動をとったのか、なぜ、そのような行動をとったのか、そして、他の人たちがどのような行動をしたのか。それを「みる」ことにより、子どもを「みる」目を養うのである。 3.専門研究歩行研究部の研修内容 (1)「専門研究」の定例会の研修  「歩行研究部」では、「まず体験しよう。次に指導を経験しよう。その中から生徒に返せる力を身につけよう」との考えのもと、研修を積み重ねている。  昨年(2003年度)は、歩行指導に当たっている経験のある職員が講師となり、校内移動、手引き、白杖の基本操作等の伝達を行った。  今年度(2004年度)は、2グループに分かれて研修を行っている。ひとつは、校外での白杖の技術の習得を目指すグループである。昨年から所属している職員の中から希望者が練習をしている。歩行指導の経験のある職員が伝達を行った。また、別のグループは、昨年度に引き続き「歩行研究部」に所属した職員が講師となり、新たに「歩行研究部」に所属した職員に校内移動、白杖の操作等の伝達を行った。そして、その伝達・説明を聞いて、歩行指導経験者がチェックを入れた。 (2)夏季歩行研修  2003年度の夏季歩行研修では、白杖の操作を基本に校外での移動訓練・研修を行った。2002年度に歩行研究部に所属していた職員が、初日に行った校内移動の研修の講師になった。2日目以降の校外での移動研修では、指導経験のある職員が講師となって行った。「歩行研究部」以外の職員の参加もあり、講師が手薄になることから指導経験のある職員にも講師の協力を依頼した。  2004年度は、初日に2グループに分かれ研修を行った。1のグループは今年度初めて夏季研修を受ける職員で、主に校内移動、白杖の基本操作を行った。講師は指導経験のある職員である。2のグループは昨年夏季研修を受けた職員で、2日目以降に行う研修内容を指導するためのポイント・ねらいを研修した。指導経験のある職員が講師をした。2日目以降は、1のグループに2のグループの職員が伝達講習を行い、その内容や方法を指導経験のある職員がチェックした。  技術伝達が主な研修ではあるが、受動的に研修を受けるだけよりも講師として伝達講習を行う方が、より能動的に研修に参加できたようである。講師となることにより、間違ったことは言えないと各自が資料を読むなど、積極的な取り組み方をするようになった。そして、そのことにより、基本的な技術の理解がより明確になるとともに、歩行に必要な基本的な能力とは、など関連する部分での理解も進んだ。一方で、昨年の内容と今年度の内容では、ステップが大きすぎ、講師経験をした職員には負担が多かったようである。今後のさらなる検討が必要である。 (3)歩行の専門性とは  「専門性」といったときにイメージされるのは、外での「歩行指導」「白杖指導」であろう。が、考えていただきたい。盲特別支援学校にいる生徒は、乳幼児から成人までその年齢差は大きい。それら、すべての人に白杖指導が必要かというと必ずしもそうではない。  晴眼の子どもたちも小さい間は親と常に一緒に行動し、小学校に入るころから親離れし、高学年になるころに親も知らないところを歩き回るようになる。そして、決まった交通機関を一人で使えるようになるのは、中学生になってからではないだろうか(最近は中学になっても切符の買い方が分からない中学生がいるという)。緊張も少なく、様々な交通機関を利用できるようになるのは高校生になってからだろうか。あるいは、高校を卒業してからかもしれない。移動の範囲は年齢と共に広がっていくものである。移動範囲が広がるにつれて、必要な知識・技術が変化していく。そして、その前の段階で、保護者や教職員などの環境が、移動範囲を広げるために必要な知識や技術を教えているはずである。  視覚障害児も同じである。年齢相応の知識・技術を、彼らを取り巻く環境である保護者・教職員がどれだけ教えられるかである。  「見えない」ことからくる「障害」を保護者や学校などの環境がどれだけ軽減することができるか、それが、私たちに求められている「専門性」ではないだろうか。幼稚部では幼稚部段階の、小学部では小学部段階の、中学部では中学部段階での専門性があるのではないだろうか。白杖技術を教えることだけが専門性ではない。  では、何が「歩行」の専門性なのか。  今、目の前にいる子どもが目的地に行くことができないとする。なぜ、行くことが出来ないのか。その理由・原因を見つけることができ、解決することができる。その能力が、「歩行」の専門性なのだと考える。「子どもにこれを教えたい。だからやる。でも、できなかった。それは、子どもの能力に問題があったから」と片付けることは簡単であるが、それは、専門性とは言わない。もし、子どもが課題をできなかったら、課題が適切であったか見直し、その上でアプローチの仕方を「工夫をして、できるようにする。あるいは、できる課題に変えること」それが、専門性であろう。  「親の要望が強くて・・・」という言葉をよく聞く。親は、子どもに一人で歩くようになって欲しいと希望し、「一人で歩く=白杖使用」と思い込んでいる。このような親の気持ちを十分理解した上で、「一人で歩く=白杖使用」ではないことを伝える必要がある。そして、今その子に必要なことは何なのか、そのために、どのような指導をしているのかを伝える必要がある。もし、その説明で親が十分に納得したならば、その人には、「歩行」の専門性がある、ということだと思う。  視覚障害歩行とは、「定位」と「移動」のうまい組み合わせである。どちらかだけが優れていても安全ではない。そして、歩行範囲の拡大は、子どもの成長と共にある。短期に行って、効果のあるものではない。子どもの成長に合わせて、今どのような課題を持っているのかを見極める力こそが「歩行の専門性」である。  「今、目の前にいるこの子を、一人でトイレに行けるようにするにはどうすればよいだろうか。右側通行というルールを守らせながら、この子にとって安全な歩行(移動)とは、どのように歩かせることなのか」と悩み、課題は何なのかを見極め、その力を育てるために工夫・実践している職員がいる。このような実践が積み重ねられることにより、「盲特別支援学校」という学校の専門性を高めることができるのではないかと思う。すべての職員の実践が積み重ねられることにより、「歩く」ことに自信をもった生徒を育てることができるのではないかと、期待している。 4 幼児の歩行の目的  幼稚部段階の「歩行」は、環境の理解である。そして、「知りたい」という気持ちを育てること、「行きたい」という欲求を育てることである。そのための手段として「移動(歩行)」がある。  気持ちがないと子どもは動かない。気持ちがあっても動き方が分からなければやっぱり動かない。両方とも「動かない」ということでは同じ。どちらの「動かない」なのかを見極めて接しないと「能動的歩行」をしない子になってしまう。「受動的歩行」では将来「歩行の範囲」が制限される危険性がある。 5 指導の実際(事例から) (1) A子の場合 幼児の実態 視覚の状態:光覚から指数弁程度(測定不能) 知的障害との重複(発語言語なし) 多動 女。 指導の経過: <年中>A子が年中の時から2年間担任をする。担当当初は非常に多動で一時も目を離せない状況だった。座っているからと目を離した隙に教室から飛び出すことも多々あった。手指は握ることができる段階で、指を対向させてつまむことは難しかった。探索行動も少なく、指先だけで行おうとしていた。  エレベータへの関心が高く、教室を飛び出してはエレベータに乗っていた。上履きを履くのは大嫌いで、いつもはだしで駆け回っていた。発語はなかったが、担任の言葉はほぼ理解しているようだった。  教室からの逃亡を阻止するために、鍵をかけたが、閉め忘れや鍵のないところを見つけてはエレベータに行く。この段階で、教室内の位置の関係はほぼ理解できていた。 最初にしたことは、「エレベータに乗りたかったら、上履きを履くこと。ドアから出ること」を意識づけた。靴を履くことはできたが、必要性を本人は認めておらず、すぐぬいでしまっていた。それが、エレベータ乗りたさに、我慢して履いていることができるようになった。そのうちに、エレベータに乗りたくなると一人で上履きを履いて教室を出て行くようになった。そのときは何の時間でもエレベータを許可した。  次に、エレベータのボタンに点字をはり、自分で操作することを教えた。それにより、探索能力が伸びたようで、好きなおもちゃのスイッチの位置を一度教えると次からは自分で操作ができるようになった。  半年ほどたって、教室での活動にも取り組んでもらおうとするが、やはりエレベータに行ってしまう。この時期に、A子がエレベータを呼んでも乗せないようにドアの前に立ち邪魔をした。その結果、1階で乗れないのなら2階で、2階で乗れないのなら3階でとA子との階段昇降の競争が始まった。エレベータのドアにどうしても近づけないと分かると彼女は、別の廊下、別の階段を使って少しでも担任を出し抜こうとした。彼女が工夫をしてエレベータに乗ろうとしているときは、4回のうち3回までは許すようにし、残り1回は教室での活動に少しでも取り組むようにした。教室での活動を少しでも行った日は残りの時間本人が納得するまで付き合ったこともある。  校内を走り回っているうちに、上下の位置関係、平面での位置関係が理解できるようになったようである。手をつないで図書館やADL室、会議室に行っても、エレベータまでまっすぐに戻ることができた。また、途中で通せんぼすると別のルートを取ってエレベータに行った。  外を歩いているときも気になることがあると、走って確かめに行く子だった。目で見て、分からないとそっと手を出して、自分が「気になった」ものがなんなのかを確かめるようになっていた。いつも交流で行っていたM保育園に行くのを嫌がって、校外で追いかけっこになったことがある。無理やり引っ張って連れて行こうとしたが、すぐ逃げられてしまう。校庭の端(ポストの場所)を右に曲がって坂を下りきろうとしているところで根負けして手を離してしまった。あちこち寄り道したから帰れるわけがないと思い込んでいた私は、彼女がどうするか様子を見ることにした。彼女は気になって調べていた(見ていた)ところをポイントとして学校まで無事に一人で戻ってきた。ポイントを逆にたどることができたことに非常に驚いた。彼女は、自分の足で歩いたところは、理解できることを教えてくれた。非常に空間理解のよい子だったが、抱いて移動したところは、知っているはずの場所でもポイントが分かるまで、どこにいるか分からないようだった。このことから、どんなに空間理解がよくても、自分の足で楽しんであるくことに勝るものはないことを教えてもらったように思う。  <年長>教室内でおもちゃを使って遊ぶようになってはいたが、まだ突然飛び出すことがあり、集中することがなかった。おもちゃの操作が上達したことや、試行錯誤して活動する様子が見られるようになったことから、椅子に座って、学習に取り組む姿勢をつけたいと考えるようになった。そこで、1回椅子に座り、型はめを1回したら、1回エレベータにのるようにした。エレベータに乗りたかったら、椅子に座って勉強、の理解ができるようになった頃から、エレベータ以外のことにも興味が出てきた。そして、3学期にはエレベータに行かなくても30分近く座って学習に取り組むことができるようになった。  エレベータに対するこだわりの強い子だったが、そのこだわりを認め、こだわりを利用することにより、空間の理解が伸び、それに伴って、探索能力も伸びていった。探索能力の伸びと共に、おもちゃに対する関心も広がり、短い時間ではあるが、落ち着いて学習に取り組む姿勢を身につけることができたと思っている。 (2) B子の場合  網膜芽細胞腫のため両眼摘出。入院等のため社会性に課題があるが、知的には大きな課題はないと思われる。ADL面にこだわりを持っている。  年中から在籍、2年間担任をした。が、年中の1学期は家庭の事情で10日前後しか登校していない。  <年中4月当初>慣れない場所に対して拒否感が強く、抱っこを要求してくる。手をつないで歩くことを提案するが、非常にゆっくりしたペースでの移動でなければ歩けなくなってしまう。  年中2学期より定期的に登校。最初はすべて手をつないで移動した。伝い歩きできるものは手をつなぎながら、反対の手で伝い歩きをする。1ヶ月ほどで歩くことに対する恐怖はなくなったようで、「ゆっくり」したペースなら玄関から教室までの移動は平気になってきた。その段階で手をつなぐのは少なくし、声かけ単独歩行を行うようにする。その結果、声のほうにいけばよいと思ったようで、「空間」に対する関心はまったくなく「声かけ」をひたすら待つようになる。トランポリンに行きたいと思っても、多くの「音」がある中から必要な情報を選んで、その方向に行くことができなかった。  そこで、側で声かけはするが、できるだけ伝い歩きを意識させるようにした。手や足による伝い歩きは、手によるものが有効で、足からの情報はなかなかとりにくいようであった(今も足からの情報は入りにくい)。伝い歩きにより、教室内の理解は促進されたが、自分から行きたい場所が少なく、必要な範囲での移動に限られていた。  <年長>6月頃、教室内はほぼ理解する。机から歯ブラシ置き場、洗面所、下駄箱、ロッカーと時間をかけて移動する。が、どのルートをとるともっとも短くてすむのかの理解ができず、自分の決めた方法にこだわる。途中で声をかけられると声のほうに行ってしまい、もう一度自分が教室のどこにいるのか最初から確かめ直すこともあった。  トランポリンが好きで、「トランポリンする」とは言うが、一人で行こうとはしない。今、B子がいる場所から、トランポリンまで行くためのポイントが見つけられないようである。遊んでいる音がすると、その音がポイントになり音に向かって一人で歩いていくことはできる。行きたいという思いがあるが、移動に対する不安が強く、単独での目的移動が難しい段階である。  <年長12月現在>玄関から教室、ロッカー、トイレはどこからでもほぼ行くべき方向に行くことができる。声に近づこうとする傾向はまだあるが、声の方向が正しいとは限らないと注意を促すと、行くべき方向に修正が可能になっている。  本人に意欲があるときは、音や足からの情報を組み合わせて、方向修正ができたこともある。本人なりにトランポリンまでのルートのポイントにおもちゃ置き場を設定したようだが、おもちゃ置き場につくと、次のポイントであるトランポリンに行くべく行動を起こすのに、「どこ行くの?」「何したいの?」など行動を促す声かけがないと難しいようである。 (3) 二つの事例から  指導期間は2事例ともほぼ同じであるが、私は、A子は伸びたし、将来的にどの施設・作業所でも移動に困難は感じないだろうと思っている。彼女が伸びた理由は、「知りたい」「行って見たい」「興味がある」という好奇心が強かったせいだろうと思っている。 それに対して、B子は「それなりに成長した」が、好奇心の低さからかすぐ忘れてしまう傾向がある。長期の休み明けなど1日2日は動きがぎこちないことが多い。1歳まで見えていたことにより空間の理解はよいものを持っていると思われるし、知的な課題もないと思われる。その彼女が、なかなか移動範囲が広がらないのは、「見えていた空間」を「頭の中に作り直す」ことが、難しいからだろうと思われる。  A子の移動は直線的である。自分が行きたい方向に「まっすぐ」行くことが出来る。対してB子の移動は曲線である。左に曲がる傾向がある。不安が大きくなればなるほど曲がる傾向が強くなる。そのため、行きたい方向が分かっていても、手がかりがないと「まっすぐ」を維持できず、結果、たどり着けず、回りに助けを求める結果になる。左右の理解もよく、手がかりがあると目的地がどの方向か理解できるし、伝って歩くこともできる子ではあるが、直線性を保持できないことから移動ルートをイメージしにくいようである。  B子が一人で歩き出し、距離が伸びるまでに時間がかかり、彼女の課題が直進性にあることに気づくことが遅くなってしまった。単独の移動と空間概念だけをチェックし、彼女の運動面での課題を見落としていたため、「それなりの成長」で2年間が過ぎたのだと思う。反省である。 6 おわりに  この原稿を書きながら、幼稚部での歩行なんて何しているのだかわからないと、お叱りを受けるかもしれないと思っている。「たいしたことじゃない」と思われる方も多いと思う。それでよいと考えている。幼児の歩行は興味・関心を持たせて調べてやろうという好奇心を強くもつ子を育てることだと思っているから。  歩行に必要な能力を色々言われるが、では、その能力をどう育てるのかといわれると答えることは非常に難しい。「廊下を横断するときは壁にしっかり背中や足をつけて」とか、「曲がるのは理由があるのだからその理由を見つけてあげる必要がある」とか、「体内座標軸をしっかりさせる必要がある」とか、「空間理解が高まるようにしなければならない」とか、課題や方法をいくつか言うことはできるが、では、それができれば歩けるようになるのかといえば、そうでもない。  A子は教えなくても廊下や道路の幅を体得したし、体内座標軸もしっかりしているから空間も理解し(高さがどの程度分かっているかは疑問だが)、その中で自由に移動することができる。  B子は、伝い歩き、方向のとり方、保健室や体育館、教室へのルートを教え、それなりに覚えたが、使いこなしてはいない。まっすぐ歩けないために方向をとっても、正面には行けなく、何の意味もなくなってしまっている。体ができていない時期なので、筋力が左右同じように育ってくれば、「まっすぐ」に歩けるようになるだろう。  B子のように「教えても使いこなせなくて」、A子のように「教えなくても使える」ものが歩行の基礎的な能力なのであるならば、「教えなくても使える子」を育てるほうがよいというふうにならないだろうか。  何を教え、何が使えると良いのか。それは、一人一人違ってくる。A子は、本人の「行きたい」という衝動をコントロールする能力を育てることが必要であった。B子は、体のコントロール能力(平衡感覚、各部の筋力)を高めることが必要である。  子どもに何が大切なのかを見極める力を職員が持つことができれば、「教えなくても、使える子」が育つのではないだろうか。見極めたうえで、では、どうすればよいのかと試行錯誤する姿勢を持つことが、専門性ではないだろうか。  「そんなことが歩行の専門性ではないだろう。外を歩けるようにすることが専門性ではないのか」という方もいると思う。  外を歩きたいと思う意欲がないと、外を歩けるようにはならない。どんなに訓練をしても、歩く能力や技術がどんなに高くても、意欲のない人は単独歩行をしようとしない。反対に意欲のある人は、訓練をしなくても単独歩行であちこち出かけている。このことを考えると、歩行に対する意欲を持たせることもりっぱな専門性ではないかと思う。歩行地図を作るのに必要な情報収集能力を育て、左右差のない体を作ることも、大切なことである。成長過程にある子どもたちを相手にしているのだから。   外での歩行指導を行えないという課題はあるかもしれない。が、神奈川県はリハビリテーションの施設が整っている。連携も十分とは言えないかも知れないが、できている。より、専門的な技術を要する部分の指導は、他機関に依頼することもできる。学校は基礎的な力を育てるところに徹するのもよいと思うのは私だけだろうか。基礎的な力が育っていれば、外の歩行はなんとでもなる。基礎的な力の育っていない子に外を歩かせようとするから、難しさが出てきて、「専門家」が必要になってくるのではないだろうか。  幼稚部から普通科までの職員が相手をしているのは、子どもである。成長の可能性をたくさん持っているし、成長過程にある子たちである。その成長過程に合わせた指導をするのが、私たちである。「歩行」できるようにするのに必要なのは、移動のための技術だけではない。体作りであり、社会性であり、自分にとって安全な歩行とは何かを理解できる能力である。そして、これらこそが成長過程にある子達が身につけなければならない力である。歩行技術は、必要になったときいつでも身につけることができる。  子どもが好きなところに自由に歩いていけるように、バランスの良い体と歩き続けられる体力と聞きたいことが聞けるコミュニケーション能力と自分にとって「安全」とは何かを理解できる能力を育てるようにしよう。それこそが、盲特別支援学校の歩行の専門性である。(と、私は考えている。)