学校概要

トップページ学校概要横浜市立盲学校の歴史>(現在の位置)明治

横浜市立盲学校の歴史

2005年10月12日訂正

明治

1886年5月(明治19年5月)
当時、市内真砂丁3丁目の山本勇信宅において漢方医学を研究していた盲人の研究会があった。(横浜の鍼按摩業者の江崎・佐久間・藤平他3名)この6名が鍼灸術の近代化の為に西洋医学知識の必要性を痛感し,十全病院(横浜市立大学医学部の前身)や市内で開業する医師に解剖・生理・病理を学び,鍼按摩業者仲間の中から志望者を募って伝習会を始めた。
1887年8月(明治20年8月)
「眼科医院」開業(創立者画像)1871年にヘボンとバラの影響を受けキリスト教の洗礼を受け,1873〜1878年に十全病院で学び,1878年に医術開業試験合格書を受領し,更に京都の順天堂で眼科学を学んだ淺水進太郎(1909年に十明に改名)が1882年尾上町で開業,1887年8月に野毛町に移り開業。
1887年9月(明治20年9月)
太政官令の廃止によって官位を失い生活の手段を失った盲人が貧しい生活をしている様子を淺水進太郎(十明)が見て,盲人の職業的な自立に対する支援方法を考える。教えを乞うてきた按摩を生業とする盲人に対して「西洋医学」の解説を始める。(伝習会への協力開始)
1888年2月(明治21年2月)
山本勇信宅を仮校舎として眼科医師の淺水進太郎(十明)が,市内の盲人を集め、鍼治揉按医術講習学校の看板を掲げ、講義を始める。(明治21年2月1日が,本校の創立起源となった。)
1889年6月(明治22年6月)
浅水進太郎、神奈川県知事に学校の設立を申請する。
1889年9月(明治22年9月)
佐渡の國相川町の小島峯蔵という盲人が入門,90年5月(明治23年5月)に学業を修めて帰国する。
1889年9月(明治22年9月)
米国人ドレーパル博士夫人が,南区中村町に盲人福音会をおこした。
1889年12月(明治22年12月)
12名の盲人が応募し、入門した。講義内容は「解剖学」「生理学」「病理学」「鍼治学」「揉接学」と「仏教大意」。(明治22年12月)
1890年7月(明治23年7月)
神奈川県より同校の設立認可。校長は淺水進太郎(十明)。校舎は宮川町。(明治23年7月25日神奈川県知事より受領)
1890年10月
我が国最初の盲人用西洋医学書著述「浅水解剖学」「淺水生理学」「淺水病理学」他。全10冊を浅水先生自らが執筆し、西洋医学者の立場で解説した。また,これに合わせ独自の盲人用人体模型を創案製作し教授に利用した。底辺の民衆教育で後に有名になった坂本龍之輔が神奈川師範学校に通う傍ら,盲人に体操の指導を行った。
1891年3月(明治24年3月)
鍼治揉按医術講習学校解剖学科28名,生理学科20名卒業。この頃から,横浜盲唖学校と市民から呼ばれるようになった。
1891年4月(明治24年4月)
初旬「浅水十明」は、盲人教育の必要を論じ,神奈川県立盲学校の建設について神奈川県知事に上申書を提出、この後も建設に向けて働きかける。(県立平塚盲学校は40年後の1931年に開校)
1891年4月(明治24年4月)
中旬鍼治揉按医術講習学校横須賀支部開校。
1891年11月(明治24年11月)
淺水進太郎(十明)校長が,《杖の栞》初版を出版する。
1892年6月(明治25年6月)
各種学校教員免許状を神奈川県知事より授與。
1892年7月(明治25年7月)
眼科医院を黄金町に移転。校舎は野毛町2丁目に移転。
1893年5月(明治26年5月)
鍼治揉按医術講習学校横須賀分校と改名。横須賀市旭町 
1894年3月(明治27年3月)
従軍者家族保護義会を作り,出征兵の家族保護事業を始める。
1895年9月(明治28年9月)
徳誘会が盲人学校の後援を始める。
1896年7月(明治29年7月)
住吉町4丁目に校舎移転。
1896年11月(明治29年11月)
野毛町2丁目に移転。徳誘会は交親会と合併,交徳会となる。
1898年1月(明治31年1月)
「浅水十明」横浜市会議員に当選。
1899年11月(明治32年11月)
羽衣町1丁目に校舎移転。初代校旗を「紫地に白い桜の花」とする。
1900年2月(明治33年2月)
盲人の梅嗅会を杉田で開催。
1900年4月(明治33年4月)
神奈川県で2校目の盲学校、横浜基督教訓盲院,後の学校法人横浜訓盲学院・社会福祉法人横浜訓盲院が免許を受けて開校した。
1901年9月(明治34年9月)
横浜市の盲人1000人を集めて,横浜公園で盲人の大運動会を開催。
1902年4月(明治35年4月)
浪花町に校舎移転。
1903年3月(明治36年3月)
鍼按専業案を帝国議会に提出する為に東京の盲人大会で演説。
1906年4月(明治39年4月)
花咲町3丁目に校舎を新築移転する。
1907年4月(明治40年4月)
私立「横浜盲人学校」と改名する。(各種学校免許)二代校旗を「紫地に桐の花と6点点字を表す亀甲の中に横盲を白抜き」とする。五七桐は淺水家の家紋。
1908年4月(明治41年4月)
内務省より横浜盲人学校へ助成金200円。
1909年9月(明治42年9月)
横須賀分校を横須賀市若松町に新築する。朝鮮の京城に横浜盲人学校京城分教場開設。
1909年12月(明治42年12月)
神奈川県に3校目の盲学校の私立中郡盲人学校(神奈川県立平塚盲学校の前身)の設立が秋山,荒井,大久保,柳川によりあった。
1912年10月(明治45年10月)
南太田町に盲人学校の新校舎落成。盲人学校後援会が出来る。盲人用人体模型,盲人用タイプライター,キンストリッキ,ピアノを寄付金で購入。

横浜市立盲学校の歴史

Copyright(c) 1999-2005 Yokohama City School for the Visually Impaired All RightsReserved.