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横浜市立盲学校の歴史
2005年10月12日訂正
昭和
- 1929年12月(昭和4年12月)
- 文部大臣より私立盲学校を免許。名称は変更なく「財団法人横浜盲人学校」。
- 1932年(昭和7年)
- 文部大臣に三橋菱三郎校長が,東京盲学校長の解任に対して嘆願書を提出する。
- 1934年3月(昭和9年3月)
- 浅水十明,帝國盲教育会より盲人教育功労者表彰を受ける。
- 1934年4月(昭和9年4月)
- 三橋菱三郎校長辞任,小島金次郎校長着任。(3代目校長)浅水十明,横浜市より社会事業功労者として表彰を受ける。
- 1934年5月(昭和9年5月)
- 卒業生発議により浅水先生の立像銅像建設。
- 1935年5月(昭和10年5月)
- 盲人教育の先覚者浅水十明銅像除幕式,中区根岸町の横浜盲人学校で挙行。(横浜貿易新報)(全身像であったが,太平洋戦争で昭和18年供出し,現在は戦後作られた胸像。)
- 1943年1月(昭和18年1月)
- 創立者浅水十明死去。
- 1944年5月(昭和19年5月)
- 横須賀市立盲学校が太平洋戦争の為,授業停止となる。
- 1944年11月(昭和19年11月)
- 「横須賀市立盲学校」廃校。
- 1945年5月(昭和20年5月)
- 横浜大空襲に遭うが,本校校舎は何ら被害を受けなかった。(校舎が無事だったことが後の横浜市移管に有利に働いた。)しかし、この空襲で本校の押尾先生が,戦災死する。
- 1946年3月(昭和21年3月)
- 「財団法人横浜盲人学校」,終戦後,初の卒業式挙行。
- 1947年4月(昭和22年4月)
- 教育基本法,学校教育法が公布され,盲学校及び聾学校令廃止。
- 1948年4月(昭和23年4月)
- 盲学校義務制が実施。
- 1948年9月(昭和23年9月)
- 横浜盲人学校の経営が悪化。廃校目前になった。横浜市立聾学校森校長・本間副校長が側面より支援し,更に国立盲教育学校教官(筑波大学付属盲学校教諭)の見氏が文部省事務官の宮部氏を動かし,文部省からの横浜市説得により,横浜市への移管が決定した。
- 1950年3月(昭和25年3月)
- 「財団法人横浜盲人学校」市への移管(横浜盲人学校の浅水道夫理事長より校地と校舎の横浜市への寄贈が行われた。)、小島金次郎校長退職。
- 1950年4月(昭和25年4月)
- 「横浜市立盲学校」が発足。見明音が横浜市立盲学校初代校長(創立4代校長)に就任。最寄駅は,市電「天神橋」下車3分。(現在;横浜市立商業高校別科理容師・美容師養成課程の校地)
- 1950年5月(昭和25年5月)
- 開校式を行う。横浜市長,市会議長,教育長他120名出席
- 1951年3月(昭和26年3月)
- 按摩師養成学校として認定。
- 1951年4月(昭和26年4月)
- 横浜市交通局により市営バスによるスクールバス共用運行始まる。
- 1952年4月(昭和27年4月)
- 見明音校長の指導により研究紀要「横盲教育」が創刊された。(教育研究体制の構築開始)
- 1952年6月(昭和27年6月)
- 校舎新築の為,神奈川区西寺尾町(現在地)に土地が購入された。最寄駅は、国鉄「大口駅」,東急「妙蓮寺駅」,京急「子安駅」の3駅である。
- 1952年10月(昭和27年10月)
- 新校舎第1期工事,木造平屋建て,2棟9教室完成。
- 1953年2月(昭和28年2月)
- 第2期工事,木造平屋建て,1棟5教室完成。
- 1953年3月(昭和28年3月)
- 新校舎へ移転完了。米国より図書寄贈を受ける。
- 1953年4月(昭和28年4月)
- スクールバス本校専用運転となる。
- 1953年5月(昭和28年5月)
- 校舎落成式。
- 1953年10月(昭和28年10月)
- 校地拡張。
- 1954年2月(昭和29年2月)
- 按摩師鍼師灸師養成学校として,専攻科2年課程が文部大臣認定される。
- 1954年3月(昭和29年3月)
- 新校舎第3期工事,木造平屋建て,1棟(高等部教室)完成。
- 1955年7月(昭和30年7月)
- 給食調理室工事完了。
- 1955年9月(昭和30年9月)
- 小学部,中学部の学校給食開始。
- 1958年4月(昭和33年4月)
- 物置建築,父兄の寄付金による。
- 1958年6月(昭和33年6月)
- 工作室,給食調理室,増築。体育用具格納庫,シャワー室を建築。
- 1958年9月(昭和33年9月)
- 高等部の学校給食開始。
- 1958年11月(昭和33年11月)
- 浅水十明胸像(銅像)除幕式。
- 1960年11月(昭和35年11月)
- 横浜市移管10周年記念式。
- 1962年9月(昭和37年9月)
- 盲学校付近区画整理事業 校地周囲に道路開通。
- 1963年3月(昭和38年3月)
- 新校舎第1期工事鉄筋コンクリート3階建て完成。
- 1963年4月(昭和38年4月)
- 新職業研究指定校となり,簾編みと毛糸編みに取り組む。
- 1964年8月(昭和39年8月)
- 見明音校長退任。
- 1964年9月(昭和39年9月)
- 松尾良雄校長就任。
- 1966年3月(昭和41年3月)
- 新校舎第2期工事鉄筋コンクリート3階建て完成。
- 1968年3月(昭和43年3月)
- 新校舎第3期工事鉄筋コンクリート3階建て完成。
- 1969年6月(昭和44年6月)
- 幼稚部設置認可。
- 1970年4月(昭和45年4月)
- 講堂兼体育館完成。
- 1970年5月(昭和45年5月)
- 新校舎落成。市立移管20周年記念式典。
- 1970年8月(昭和45年8月)
- 松尾良雄校長退任。
- 1970年9月(昭和45年9月)
- 岩沢慶尚校長就任。
- 1971年1月(昭和46年1月)
- 校門移設(門柱にチャイム設置)。外柵工事完成。
- 1971年2月(昭和46年2月)
- 校庭裏石垣工事完成。
- 1972年3月(昭和47年3月)
- 通学路安全対策施行完了。
- 1973年2月(昭和48年2月)
- 遊具設備設置。
- 1973年3月(昭和48年3月)
- 浅水十明銅像移設。学校緑化事業完了。
- 1973年4月(昭和48年3月)
- 高等部本科に普通科と保健理療科,高等部専攻科に理療科の設置。理療科教育課程改訂。
- 1973年8月(昭和48年8月)
- プール完成。
- 1975年12月(昭和50年12月)
- 松見・大口地区が市福祉モデル地区の指定を受ける。
- 1976年3月(昭和51年3月)
- 視覚障害者誘導ブロックを通学路に整備。
- 1978年5月(昭和53年5月)
- プール付帯施設完成。盲人用歩行電子補助具研究指定。
- 1978年8月(昭和53年8月)
- 視覚障害者にプール開放開始。
- 1979年3月(昭和54年3月)
- 増築工事鉄筋コンクリート2階建て完成。
- 1980年8月(昭和55年8月)
- 岩沢慶尚校長退任。
- 1980年9月(昭和55年9月)
- 林多有太校長就任。
- 1982年4月(昭和57年4月)
- 文部省特殊教育課程研究指定 オプタコンの研究。
- 1983年8月(昭和58年8月)
- 林多有太校長転任。横浜市立小学校長へ転出
- 1983年9月(昭和58年9月)
- 上原敏和校長就任。
- 1985年3月(昭和60年3月)
- 校舎改築基本計画の取り組み開始。
- 1987年3月(昭和62年3月)
- 上原敏和校長退任。
- 1987年4月(昭和62年4月)
- 鎌田克美校長就任。
- 1988年4月(昭和63年4月)
- 創立100周年。
- 1988年7月(昭和63年7月)
- 全面改築のため,港北区大豆戸町仮校舎(市立小学校建設予定用地)に移転。最寄り駅は、東急「大倉山駅」とJR・市営地下鉄「新横浜駅」の2駅となる。
- 1988年11月(昭和63年11月)
- 工事着工。校地より縄文時代の旧住居跡出土。