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日向山はどこにあるの | 地名の由来 | 日向山小学校の生立ち |
「日向山はどこにあるの」 |
日向山地区は、横浜市の西の外れにある、瀬谷区と泉区の双方に跨る地域で、横浜市泉区和泉町及び上飯田町並びに瀬谷区南瀬谷二丁目及び宮沢町の一部の地域のをいいます。地域の周りには広大な農地が広がり、西外れに境川が、東には泉川が流れている。その対岸には大和市が広がっており、北部地帯は瀬谷区の市街地につながり、西南の方向には遠く「富士山」が望まれます。とても自然豊かな所で、子供たちは虫や魚を追いかけ、すくすくと育っています。
「地名の由来」 |
「日向山」の地名は、古地図によると、現在の日向山の中央通り西側(上飯田町)の部分を北側より「出水」、「藪山」、「日向山」と、東側は北部(瀬谷区側)を下原、南部(和泉町側)を早稲田と称していたようです。この地域を、相鉄不動産が昭和51年から開発し、このうちより「日向山」の地名をとり「ひなた山」として販売したことが現在の地名の由来で、「ひなた山」を旧地名に基づき「日向山」とし、現在に至っています。
「日向山小学校の生立ち」 |
日向山小学校の地域は、もと下瀬谷、新道の農家を主として農業が営まれ、田畑、森林でしたが、近年の宅地造成による開発が激しく、昭和50年9月1日に横浜市立下瀬谷小学校が新設開校されましたが、更に昭和51年9月15日に日向山地区の区画整理が施行されてより住宅が急造され、児童数が急速に増加しました。そのため、昭和54年度には、下瀬谷小学校は収容能力を超え、プレハブ教室を設置する状態となり、児童の安全はもとより、教育指導にも支障をきたし、学校としての機能を十分に果たすことが不可能になりました。このような状況により市教育委は日向山方面校を昭和56年度に設置する予定を早めて、昭和55年9月1日に新設開校として、「日向山小学
校」が誕生しました。