【専任だより】東小学校の歴史 ~横浜大空襲によせて②~
昭和12年に日中戦争がはじまり、昭和14年に第2次世界大戦がはじまりました。さらに、昭和16年にアメリカとの戦争に突入していきます。
詳しくは、NHK for school クリップ動画で学べます。
★NHK for school 「クリップ」 https://www.nhk.or.jp/school/clip/
戦争下の昭和18年「東尋常高等小学校」は「東国民学校」に名前を変えます。
昭和19年には日本の都市への攻撃も始まり、学童疎開も始まります。
学童疎開とは、空襲があるかもしれない都会から比較的安全な地方へ子どもだけが引っ越すことです。
親戚が地方にいるこどもはその地方に疎開しました。
そうではない子どもは学校でまとまって地方の寺や旅館に疎開しました。
東国民学校では、昭和19年8月17日に箱根に集団疎開をしました。
この頃、学校には約1500人の児童がいましたが、そのうち311人の子どもたちが箱根で集団生活を行いました。
写真は集団生活に出発する子どもたちの様子です。
疎開先では、朝6時に起き、午前中は勉強、午後は体育を兼ねて山へ出かけ、木々を集める仕事をしていたそうです。自由時間には、木登りなどをして遊んでいたそうです。
最初の頃はお米を食べていましたが、だんだんと食料も不足してきてサツマイモの茎や葉っぱも食べたそうです。
冬は寒さが厳しく、みんなで布の中に足を突っ込んで寒さに耐えたそうです。
疎開先も大変な生活でしたが、横浜でも悲惨な空襲を迎えることとなります。
~~お話は明日に続きます。~~
このコンテンツに関連するキーワード
登録日: / 更新日: